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by sato_ignis
| 2022-06-10 02:27
| 雑記
或る時、大阪行の急行の食堂車で、遅い晩飯を食べていた。四人掛けのテーブルに、私は一人で坐っていたが、やがて、前の空席に、六十恰好の、上品な老人夫婦が腰をおろした。
細君の方は、小脇に何かを抱えて這入って来て私の向いの席に着いたのだが、袖の蔭から現れたのは、横抱きにされた、おやと思う程大きな人形であった。人形は、背広を着、ネクタイをしめ、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥打帽子を被っていた。着附の方は未だ新しかったが、顔の方は、もうすっかり垢染じみてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色も褪あせていた。何かの拍子に、人形は帽子を落し、これも薄汚くなった丸坊主を出した。 細君が目くばせすると、夫は、床から帽子を拾い上げ、私の目が会うと、ちょっと会釈して、車窓の釘に掛けたが、それは、子供連れで失礼とでも言いたげなこなしであった。 もはや、明らかな事である。人形は息子に違いない。それも、人形の顔から判断すれば、よほど以前の事である。一人息子は戦争で死んだのであろうか。夫は妻の乱心を鎮めるために、彼女に人形を当てがったが、以来、二度と正気には還らぬのを、こうして連れて歩いている。多分そんな事か、と私は想った。 夫は旅なれた様子で、ボーイに何かと註文していたが、今は、おだやかな顔でビールを飲んでいる。妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き、自分の口に入れる。それを繰返している。私は、手元に引寄せていたバタ皿から、バタを取って、彼女のパン皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、気が附かない。「これは恐縮」と夫が代りに礼を言った。 そこへ、大学生かと思われる娘さんが、私の隣に来て坐った。表情や挙動から、若い女性の持つ鋭敏を、私は直ぐ感じたように思った。彼女は、一と目で事を悟り、この不思議な会食に、素直に順応したようであった。私は、彼女が、私の心持まで見てしまったとさえ思った。これは、私には、彼女と同じ年頃の一人娘があるためであろうか。 細君の食事は、二人分であるから、遅々として進まない。やっとスープが終ったところである。もしかしたら、彼女は、全く正気なのかも知れない。身についてしまった習慣的行為かも知れない。とすれば、これまでになるのには、周囲の浅はかな好奇心とずい分戦わねばならなかったろう。それほど彼女の悲しみは深いのか。 異様な会食は、極く当り前に、静かに、敢えて言えば、和やかに終ったのだが、もし、誰かが、人形について余計な発言でもしたら、どうなったであろうか。私はそんな事を思った。 cf. 「栗の樹」小林秀雄 2017-06-23 https://ignis.exblog.jp/26944265/ #
by sato_ignis
| 2022-05-20 01:09
| 講義
わがくにまもるものゝふの
やまとごゝろをひととはゞ あさひににほふやまざくら さくやかすみもこゝのへの さこんのはなにこちふかば よもにうちでむものゝふの まもれまもれやほことりて あだしむらくもうちはらひ 千春萬秋うごかざる すめらみくにのおほみよと ともに世界にたぐひなき さくらばなこそ忠義なれ さくらばなこそめでたけれ みやこにこちはふきすさび 伯耆の國のすぎさかの あとをしたひて高徳が 假屋のおにわのさくらぎに 留めしともじのことのはは あかきこころをすみぞめの はなとそのかをきそひける よにもまれなる忠烈は いくちよかけてかんばしく やまとをのこのかがみぞと はるのかすみのそがなかに いとどむかしのしのばれて ますらたけをのいやまさる みかどに仇なすものあるか くにに敵なすものあらば 忠義のつるぎふりかざし ただいちげきにきりたふし くにたひらげてやすらけく すめらみことの御威徳を ひろくせかいにかがやかし さくらのはなともろともに 千春萬秋むかへんと やたけこころのいやまさる やまとをのこの忠烈は さくらとともにためしなし さくらとともにたぐひなし cf. 2020-06-09 https://ignis.exblog.jp/30095255/ #
by sato_ignis
| 2022-05-17 03:57
| 音楽
何か事情があつて、川開きが暑中を過ぎた後に延びた年の當日であつたかと思ふ。餘程年も立つてゐるので、記憶が稍おぼろげになつてはゐるが又却つてそれが爲めに、或る廉々(かどかど)がアクサンチュエエせられて、翳んだ、濁つた、しかも強い色に彩どられて、古びた想像のしまつてある、僕の腦髄の物置の隅に轉がつてゐる。
…… そのうち僕は斯う云ふ事に氣が附いた。しらじらしいのは依田さんに對する壯士俳優の話ばかりではない。この二階に集まつた大勢の人は、一體に詞少なで、それが偶々何か言ふと、皆しらじらしい。同一の人が同一の場所へ請待しようだいした客でありながら、乘合馬車や渡船の中で落ち合つた人と同じで、一人一人の間になんの共通點もない。ここかしこで互に何か言ふのは、時候の挨拶位に過ぎない。ぜんまいの戻つた時計を振ると、セコンドが一寸動き出して、すぐに又止まるやうに、こんな會話は長くは持たない。忽忽ち元の沈默に返つてしまふのである。 僕は依田さんに何か言はうかと思つたが、どうも矢張りしらじらしい事しきや思ひ附かないので、言ひ出さずにしまつた。そしてそこ等の人の顏を眺ながめてゐた。どの客もてんでに勝手な事を考へてゐるらしい。百物語と云ふものに呼ばれては來たものの、その百物語は過ぎ去つた世の遺物である。遺物だと云つても、物はもう亡くなつて、只空しき名が殘つてゐるに過ぎない。客觀(かつかん)的には元から幽靈は幽靈であつたのだが、昔それに無い内容を嘘ふき入れて、有りさうにした主觀までが、今は消え失せてしまつてゐる。怪談だの百物語だのと云ふものの全體が、イブセンの所謂幽靈になつてしまつてゐる。それだから人を引き附ける力がない。客がてんでに勝手な事を考へるのを妨げる力がない。 人も我もぼんやりしてゐる處へ、世話人らしい男が來て、舟へ案内した。この船宿の棧橋ばかりに屋根船が五六艘着いてゐる。それへ階上階下から人が出て乘り込む。中には友禪の赤い袖がちら附いて、「一しよに乘りた云はよ、こつちへお出いでよ」と友を誘ふお酌の甲走つた聲がする。しかし客は大抵男ばかりで、女は餘り交つてゐないらしい。皆乘り込んでしまふまで、僕は主人の飾磨屋がどこにゐるか知らずにしまつた。又蔀君にも逢はなかつた。 …… 僕は障子のはづしてある柱に背を倚せ掛けて、敷居の上にしやがんで、海苔卷の鮓を頬張りながら、外を見てゐる振をして、實は絶えず飾磨屋の樣子を見てゐる。一體僕は稟賦と習慣との種々な關係から、どこに出ても傍觀者になり勝である。西洋にゐた時、一頃大さう心易く附き合つた爺いさんの學者があつた。その人は不治の病を持つてゐるので、生涯無妻で暮した人である。その位だから舞踏なんぞをしたことはない。或る時舞踏の話が出て、傍(かたはら)の一人が僕に舞踏の社交上必要なわけを説明して、是非稽古をしろと云ふと、今一人が舞踏を未開時代の遺俗だとしての觀察から、可笑しいアネクドオト交りに舞踏の弊害を列ならべ立てて攻撃をした。その時爺いさんは默つて聞いてしまつて、さて斯う云つた。「わたくしは御存じの體ですから、舞踏なんぞをしたことはありません。自分の出來ない舞踏を、人のしてゐるのを見ます度に、なんだかそれをしてゐる人が人間ではないやうな、神のやうな心持がして、只目を睜つて視てゐるばかりでございますよ」と云つた。爺いさんの斯う云ふ時、顏には微笑の淡い影が浮んでゐたが、それが決して冷刻な嘲(あざけり)の微笑ではなかつた。僕は生れながらの傍觀者と云ふことに就いて、深く、深く考へてみた。僕には不治の病はない。僕は生まれながらの傍觀者である。子供に交つて遊んだ初から大人になつて社交上尊卑種々の集會に出て行くやうになつた後まで、どんなに感興の湧き立つた時も、僕はその渦卷に身を投じて、心(しん)から樂んだことがない。僕は人生の活劇の舞臺にゐたことはあつても、役らしい役をしたことがない。高がスタチストなのである。さて舞臺に上らない時は、魚(うお)が水に住むやうに、傍觀者が傍觀者の境に安んじてゐるのだから、僕はその時尤もその所を得てゐるのである。さう云ふ心持になつてゐて、今飾磨屋と云ふ男を見てゐるうちに、僕はなんだか他郷で故人に逢ふやうな心持がして來た。傍觀者が傍觀者を認めたやうな心持がしてきた。 僕は飾磨屋の前生涯を知らない。あの男が少壯にして鉅萬の富を讓り受けた時、どう云ふ志望を懐いてゐたか、どう云ふ活動を試みたか、それは僕に語る人がなかつた。しかし彼が藝人附合を盛んにし出して、今紀文と云はれるやうになつてから、もう餘程の年月が立つてゐる。察するに飾磨屋は僕のやうな、生れながらの傍觀者ではなかつただらう。それが今は慥かに傍觀者になつてゐる。しかしどうしてなつたのだらうか。よもや西洋で僕の師友にしてゐた學者のやうな、オルガニックな缺陷が出來たのではあるまい。さうして見れば飾磨屋は、どうかした場合に、どうかした無形の創痍さういを受けてそれが癒云へずにゐる爲めに、傍觀者になつたのではあるまいか。 若しさうだとすると、その飾磨屋がどうして今宵のやうな催しをするのだらう。世間にはもう飾磨屋の破産を云々云々するものもある。豪遊の名を一時に擅ほしい儘にしてから、もうだいぶ久しくなるのだから、内證は或はさうなつてゐるかも知れない。それでゐて、こんな催しをするのは、彼が忽ち富豪の主人になつて、人を凌しのぎ世に傲つた前生活の惰力ではあるまいか。その惰力に任せて、彼は依然こんな事をして、丁度創作家が同時に批評家の眼で自分の作品を見る樣に、過ぎ去つた榮華のなごりを、現在の傍觀者の態度で見てゐるのではあるまいか。 僕の考は又一轉して太郎の上に及んだ。あれは一體どんな女だらう。破産の噂が、殆ど別な世界に栖息してゐると云つて好い僕なんぞの耳に這入る位であるから、怜悧らしいあの女がそれに氣が附かずにゐる筈はない。なぜ死期(しご)の近い病人の體を蝨が離れるやうに、あの女は離れないだらう。それに今の飾磨屋の性質はどうだ。傍觀者ではないか。傍觀者は女の好んで擇ぶ相手ではない。なぜと云ふに、生活だの生活の喜(よろこび)だのと云ふものは、傍觀者の傍では求められないからである。そんなら一體どうしたと云ふのだらう。僕の頭には、又病人と看護婦と云ふ印象が浮んで來た。女の生涯に取つて、報酬を豫期しない看護婦になると云ふこと、しかもその看護を自己の生活の唯一の内容としてゐると云ふこと程、大いなる犠牲は又とあるまい。それも夫婦の義務の鎖に繋れてゐてする、イブセンの謂ひう幽靈に祟られてゐてすると云ふなら、別問題であらう。この場合にそれはない。又戀愛の欲望の鞭でむちうたれてゐてすると云ふなら、それも別問題であらう。この場合に果してそれがあらうか、少くも疑を挾む餘地がある。さうして見ると、財産でもなく、生活の喜でもなく、義務でもなく、戀愛でもないとして考へて、僕はあの女の捧げる犠牲の愈々大きくなるのに驚かずにはゐられなかつたのである。 僕はこんな事を考へて、鮓を食つてしまつた跡に、生姜のへがしたのが殘つてゐる半紙を手に持つた儘、ぼんやりして矢張り二人の方を見てゐた。その時一人の世話人らしい男が、飾磨屋の傍へ來て何か咡くと、これまで殆ど人形のやうに動かずにゐた飾磨屋が、つと起たつて奧に這入つた。太郎もその跡に引き添つて這入つた。 …… #
by sato_ignis
| 2022-05-05 01:05
| 読書
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