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四十未為老 憂傷早衰惡 前歲二毛生 今年一齒落 形骸日損耗 心事同蕭索 夜寢與朝餐 其間味亦薄 同歲崔舍人 容光方灼灼 始知年與貌 衰盛隨憂樂 畏老老轉迫 憂病病彌縛 不畏復不憂 是除老病藥 朝哭心所愛 暮哭心所親 親愛零落盡 安用身獨存 幾許平生歡 無限骨肉恩 結為腸間痛 聚作鼻頭辛 悲來四支緩 泣盡雙眸昏 所以年四十 心如七十人 我聞浮屠教 中有解脫門 置心為止水 視身如浮雲 斗擻垢穢衣 度脫生死輪 胡為戀此苦 不去猶逡巡 回念發弘願 願此見在身 但受過去報 不結將來因 誓以智慧水 永洗煩惱塵 不將恩愛子 更種悲憂根 ・・・・・・ 2011-09-11 03:59 https://ignis.exblog.jp/16263948/ ただ呆然と 夜のインド人街で独り,ただ呆然とする。 ぼくは何でも10年遅れで生きているが, 学生時代にこれを感じた友人は多かろう。 来てよかった。それほど遅れてはいまい。 ・・・・・・ 三十六と四十八。白氏四十の、煩悩と覚悟。 #
by sato_ignis
| 2023-06-21 22:37
| 詩
ʻAuhea wale ana ʻoe E ka pua līlīlehua
A he ipo hoʻohenoheno E hoʻohihi ai nō ka manaʻo Iā ʻoe e ʻimi ana I nā nani o ka ʻāina Eia nō lā au ma ʻaneʻi E kali ana i kou hoʻi mai E ʻalawa mai hoʻi ʻoe I nei mau maka onaona He mau maka poina ʻole E kapalili ai kō puʻuwai Hilo paʻa ʻia ke aloha I ka lino hilo pāwalu ʻAʻohe mea e hemo ai Me aʻu ʻoe a mau loa Haʻina mai ka puana E ka pua līlīlehua A he ipo hoʻohenoheno E hoʻohihi ai nō ka manaʻo #
by sato_ignis
| 2023-06-04 03:50
| 音楽
お知らせいただいて、"校風が自由だと思う「都立高校」ランキングTOP30!”をみる、おもわずにっこり。毎週の出講がそなわっていた。 第28位:小石川中等教育学校 後期課程 第13位:武蔵高等学校 第8位:国際高等学校 第3位:戸山高等学校 cf. https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/1502619/ で、 第1位:豊多摩高等学校 また、おもわずにっこり。ああ、トヨタマでよかったなあ。拙文を思い出した。 「豊多摩の血」46期 里憲治(同窓会報第65号) cf. 2011-04-14https://ignis.exblog.jp/15258940/ “シーゲル”高橋繁隆先生は,毎回の授業で洋楽を流し, 解説と問題を付したプリントを配ってくれた。祖父の懐メロと 兄のテクノ,姉のピアノに囲まれていた私に,それらは鮮烈 だった。一曲一枚ごと,新しい世界に踏み込んでゆく自分が 快かった。英語は勉強ではなく,手に入れたい何かになった。 思えば,先生がたの授業に,豊多摩そのものに,知的で心にくい 仕掛けと,温かいまなざしがあふれていた。 赤点ラインの常連だった私は今,予備校で英語を教えている。 拙著を巷で見かけると,何とも不思議な心持ちになる。教育と, 苦手ながらも英語を我が道に選んだのは,目の前にいる子らに, あの贅沢な時間を伝えたいからだ。私は語り,生徒を見つめる。 不器用でもよい。遅れてもよい。ある何かに憧れ,それを大胆に 求め続けるだけでよい。彼我のおおらかさに育まれ,青春の個性や 能力は,驚くほどたくましく伸びてゆく。 豊多摩の血は,私を伝い,彼らにも流れているのだ。 .............. 本日より都立中等教育学校に出講。豊多摩の恩に報いるとき。 ここにもかしこにも,命を賭せん。 cf. 2010-04-15 壮年に向けて http://ignis.exblog.jp/13153544/ cf. 2004-10-18「あなたに」谷川俊太郎 http://ignis.exblog.jp/599004/ cf. 2004-11-27 楽園とはいわない。http://ignis.exblog.jp/1181331/ #
by sato_ignis
| 2023-05-27 01:06
| 雑記
「陸軍行進曲(其の二) 」作詞:本間雅晴 作曲:大沼哲
旭日燦たる帝國の 萬世不變の國光を 遮ぎる雲は疾風と 掃ひ除かん我が火砲 既に幾度の大戰に 稀有の大捷博したる 我が皇軍の行くところ 常に天佑また神助 建國以降微動無き 金甌無缺の國體を 汚さん者は醜草と 薙ぎて倒さん我が劍 既に幾度の大戰に 稀有の大捷博したる 我が皇軍の行くところ 常に天佑また神助 鬼神の如きあだ來とも 何か恐れん我にまた 天をも翔ける翼あり 地をも碎かん我が拳 既に幾度の大戰に 稀有の大捷博したる 我が皇軍の行くところ 常に天佑また神助 #
by sato_ignis
| 2023-05-20 02:10
| 音楽
家郷忘じ難しと云ふ。まことにそのとほりである。故郷はとうてい捨てきれないものである。それを愛する人は愛する意味に於て、それを憎む人は憎む意味に於て。 更にまた、豫言者は故郷に容れられずと云ふ諺もある。えらい人はえらいが故に理解されない、變つた者は變つてゐるために爪彈きされる。しかし、拒まれても嘲られても、それを捨て得ないところに、人間性のいたましい發露がある。錦衣還郷が人情ならば、襤褸をさげて故園の山河をさまよふのもまた人情である。 近代人は故郷を失ひつつある。故郷を持たない人間がふえてゆく。彼等の故郷は機械の間かも知れない。或はテーブルの上かも知れない。或はまた、鬪爭そのもの、享樂そのものかも知れない。しかしながら、身の故郷はいかにともあれ、私たちは心の故郷を離れてはならないと思ふ。 自性を徹見して本地の風光に歸入する、この境地を禪門では『歸家穩坐』と形容する。ここまで到達しなければ、ほんとうの故郷、ほんとうの人間、ほんとうの自分は見出せない。 自分自身にたちかへる、ここから新らしい第一歩を踏み出さなければならない。そして歩み續けなければならない。 私は今、ふるさとのほとりに庵居してゐる。とうとう却つてきましたね――と慰められたり憐まれたりしながら、ひとりしずかに自然を觀じ人事を觀じてゐる。餘生いつまで保つかは解らないけれど、枯木死灰と化さないかぎり、ほんとうの故郷を欣求することは忘れてゐない。 (「三八九」復活第四集 昭和七年十二月十五日發行) #
by sato_ignis
| 2023-05-17 04:13
| 読書
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