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皆様、昨日は僕の話に耳を傾けてくださり、ありがとうございました。
また、貴重な機会をくださった里先生に感謝申し上げます。 さて、生意気ながら授業の感想を述べさせていただきます。 まず、皆様の、里先生の熱意に応えるような真剣な眼差しと、ピュアな反応が、僕にはとても新鮮にうつりました。 非常に良い空間で勉学に励まれているのだなと思い、羨ましくもなったほどでした。 先輩として、僕自身の考えや経験をもとに話をさせていただきましたが、あくまで参考程度に、決して迎合はなさらないでください。 この先、皆様それぞれに与えられた時間の中で、ご自身で経験されたことから気づきを得てください。 良い気づきをたくさん、たくさん重ねて欲しいと願っております。 知識、共通言語、という話を最後の方でしたように思います。 皆様に伝えたかったことがあります。 知らないことは恥ずかしいことではない。 むしろ、知る喜びがあります。 人はみな、最初は絵の描き方も、言葉すらも知らないところからスタートします。 美術に関して、常に今がスタートラインだと思って、真剣になれる事柄にさらに興味を持ち、たくさんの出会いの中で、だんだんと言葉や、知識を増やしていってください。 僕自身、まだまだ知らないことも多く、もっと勉強しなければと常日頃思います。 一生勉強ですね。 僕自身、この先も作家として生きていくつもりですが、何年かした後に、またどこかで、お互いがつくり手としてお会いできれば嬉しいです。 僕のような未熟者が言うのも憚られますが、お互いに人生を楽しみながら、創作に励んでいきましょう。 皆様に負けないよう、僕も頑張ります。 よく食べ、よく遊び、よく学び、ぞんぶんに創作を楽しんでください。 それから、才能と天才は違います。才能は育むものです。自分は自分の才能を育めると信じて欲しい。信じてください。 受験には結果がつき物ですが、皆様の受験までの日々が充実したものになることを、心よりお祈りいたします。 ではまたどこかで。 頑張ってください。 井田幸昌 ▲
by sato_ignis
| 2016-08-26 03:00
| 講義
酒がのみたい夜は
酒だけでない 未来へも罪障へも 口をつけたいのだ 日のあけくれへ うずくまる腰や 夕ぐれとともにしずむ肩 酒がのみたいやつを しっかりと砲座に据え 行動をその片側へ たきぎのように一挙に積みあげる 夜がこないと いうことの意味だ 酒がのみたい夜はそれだけでも 時刻は巨きな 枡のようだ 血の出るほど打たれた頬が そこでも ここでも まだほてっているのに 林立するうなじばかりが まっさおな夜明けを まちのぞむのだ 酒がのみたい夜は 青銅の指がたまねぎを剥き 着物のように着る夜も ぬぐ夜も 工兵のようにふしあわせに 真夜中の大地を堀りかえして 夜明けは だれの ぶどうのひとふさだ <サンチョ・パンサの帰郷> cf. 「さびしいと いま」石原吉郎 http://ignis.exblog.jp/8099014/[ 2008-02 -26 22:30 ] 「事実」石原吉郎 http://ignis.exblog.jp/8099017/[ 2008-02 -26 22:31 ] ▲
by sato_ignis
| 2016-08-26 02:49
| 詩
一度も会わないことだってある
すれ違いすらしないことだってある 渦巻くグラスの中に浮かんでいる 自分が見えるのはいつの日のことか 気が付かないで通り過ぎていくのが一番いい 出会った時が一番いい いつか目が覚めない朝を迎える日が来る 長い夜は短い朝に会うためにあるのか 一度も会わないことだってある すれ違いすらしないことだってある ▲
by sato_ignis
| 2016-08-26 02:44
| 音楽
京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒いくらいで
丘の上の下宿屋はいつも ふるえていました 僕はだれかの 笑い顔が見られることより うつむきかげんの彼を 見つけたかったんです ひもじい気持ちも あまりに寒いせいか 感じなかったようです ただ たたみの上で 寝ころびたかったんです やさしすぎる 話のうますぎる 彼らの中にいるより うすぎたないカーテンのむこうの 裸電球の下に すわりたかったんです 彼はいつも誰かと そして何かを待っていた様子で ガラス戸がふるえるだけでも 「ハイ」って答えてました その歯切れのいい言葉は あの部屋の中にいつまでも残っていたし 暗やみで何かを待ちつづけていた姿に 彼の唄を見たんです 湯のみ茶わんにお湯を いっぱいいれてくれて 「そこの角砂糖でもかじったら」 って言ってくれました その時「ありがとう」と答えて うつむいたのは 胸が痛み出したことと 僕自身の後ろめたさと・・・ かわききったギターの音が 彼の生活で そして 湿気の中にただひとつ ラーメンのこうばしさが唄ってたみたいです 不精ひげの中から ため息が少し聞こえたんですが 僕にはそれが 唄のように聞こえたんです 一杯呑み屋を 出てゆくあんたに むなしい気持ちが わかるなら 汚れた手のひら 返してみたって 仕方ないことさ あせって走ることはないよ 待ちつかれて みることさ ため息ついても 聞こえはしないよ それが 唄なんだ 僕が歩こうとする道にはいつも 彼の影が映ってたみたいです 小さな影でしたが 誰だってその中に入りこめたんです それから 彼の親父が 酔いどれ詩人だったことを知り 今僕が こうしてるから 彼こそ本当の詩人なのだと言いきれるのです 新しいお湯が シュンシュン鳴った時 ラーメンをつくってくれて そして ウッディやジャックを 聞かしてくれたんです それから僕が 岩井さんやシバ君と会えたのも すべて この部屋だったし すべて 僕には唄だったのです 何がいいとか悪いとか そんなことじゃないんです たぶん僕は 死ぬまで彼になりきれないでしょうから ただその歯がゆさの中で 僕は信じるんです 唄わないことが一番いいんだと 言える彼を 一杯呑み屋を 出てゆくあんたに むなしい気持ちが わかるなら 汚れた手のひら 返してみたって 仕方ないことさ あせって走ることはないよ 待ちつかれて みることさ ため息ついても 聞こえはしないよ それが 唄なんだ ▲
by sato_ignis
| 2016-08-26 02:24
| 音楽
ほんとのことが言えたらな
目が見たことが言えたらな 思ったことを便りに書けたらな 頭の上を吹く風よ 仲間がいま何をしているのか聞かせてくれ 彼はいま何を見ているのか もうひとりの彼は何を考えているのか 遠くの彼はだれと心を通じているのか あのひとの目は何を言おうとしていたのか そんな気持が歌に うたえたらな 優しさが音に表せたらな そしたらぼくはぼくになれるのにな cf. 朝倉勇 金子光晴さんと、ぼく 2011.06.17 http://www.tcc.gr.jp/relay_column/show/id/2974 ▲
by sato_ignis
| 2016-08-24 01:08
| 音楽
灯を消して
床に体を横たえると ノートに書き写したことのある 詩の一節が思われて来る 眠っているものからは降るのだ 棚引いている雲からのように 重力の豊かな雨が リルケの「重力」と題された詩の終連なのだが 私 このとき 微笑を浮かばせている わが身を横たえて識る わが身から降るゆたかな雨に 私は微笑をむけている その微笑は 私がはじめて生んだ子に 乳房をふくませていたときの微笑に結ばれているように思う 私が看護した兵士の 高熱の中で呼びつづけていたかすかな声の女名前に 私が答えていたときの 兵士の微笑 私の微笑にも似ているように思う 遠い過去の年月から 立ちもどって来た私の微笑よ 闇に白い花が開いてゆく 白いむくげの花のような 私が私自身にむける微笑の花を闇に咲かせて 私は眠りに入ってゆく 私はもういまは 悲しみに眠れない夜を持ちたいとは思わない 闇に目を開いたまま悲しみを見つめつづける力も消え去っている 私の心はもうどこへ行くこともなく私の中にあって 私を眠りに引き入れてゆく 毎夜 私はそうして眠る 私一人を包む闇の 眠りの平和を思って…… 窓の外の軒下には 白猫が眠っている 昼間何度かこの家の庭に来て縁の敷居に前足をかけ 家の中をのぞき見している猫 宿のない猫が この家の軒下に来て眠っている 猫もいまは雀を追うこともなく 庭の柿の木の幹で爪を研ぐこともなくなっていた 猫も白い花になっている 詩集『夢の手』1986年 ▲
by sato_ignis
| 2016-08-16 00:53
| 詩
C氏の芸術理論をひと言でいえば、芸術とは、人間がみずからの内部の曖昧な感情をのぞきこみ、それを言葉やかたちや音によって定着し、何よりも自分自身のために、その感情を明確化する営みにほかならない。けだし、人間はみず からの感情の動揺によって苦しむ動物であるが、とりわけ苦しいのは内部に何かしら無形の衝動が渦巻いていて、しかも、その気分の性質がわれながら名状しがたいときであろう。芸術はまさにそういう人間にたいする救済としてあるのであり、その混滝たる感情に輪郭をあたえ、指さして語りうる明快なものに変えて、彼の意識の支配下に置く活動なのである。表現とは、第一義的にそうした感情発見の作業なのであり、外に相関物を作ることによって自己の内面を確認する営みであって、およそ、内部にある既知の何ものかを外に投げ出す仕事ではない。そのさい、人間の感情はおおむね外の世界にかかわる感情であるから、内部を明確化するということは、同時に、彼自身にとっての外界を明確化することにほかならない。その意味で、芸術はまた、感情を通じてものを正しく見さだめる方法なのであり、科学や哲学と並んで、それとは別の方法によるもうひとつの世界認識の営みだ、と見ることもできる。単純化していえば、人間は自分の心に映っているものについて、それを外に描くことによってよく見るのであり、歌うことによって聞くのであり、語ることによって知るのであり、つまりは、表現することによって認識するのである。
そして、芸術がまさにこういうものであるとすれば、それは行動の構造の点で、現実生活の大部分を占める技術活動とは正反対のものにならざるをえない、というのがC氏の主張であった。なぜなら、技術活動がその出発点において特定の目的を持ち、みずからが何をめざしているかを明確に知っているのにたいして、芸術活動はまさに、それを知らないところから出発する行動だからである。 ひとりの指物師が机を作る場合、彼は、あらかじめその机の厳密な設計図を持ち、それを作るに適当な限定された手段を持ち、かねて詳細に決められた工程と手順にしたがって、おもむろに制作の実行を進めることになる。しかし、ひとりの詩人が詩を作る場合、あらかじめ彼の胸中にあるのは漠然とした気分の混沌と、それを言葉で表現したいとい う曖昧な願望だけであって、そのための設計図はもとより、限定された手段も詳細な工程も存在しない。彼は、その漠然たる気分を見きわめようとして、それに適切な言葉をあれこれと選ぶのであるが、このとき彼はまだ自分が何にたいして適切な言葉を選んでいるのかをさえ知らない、といえる。やがて詩人は、思考錯誤のすえに、ようやく自分の感情をいいあてた一連の言葉を見いだすであろうが、じつはそのとき、彼は言葉とともに、初めて自分の感情そのものを見いだしたといわねばならない。指物師の仕事になぞらえれば、詩人はこの段階にいたって、ついに自分の目的とその手段を知ったことになるが、しかし、その瞬間、彼の詩はたんなる設計図ではなく、すでに完全な作品としてできあがっている。一面では、指物師が仕事の出発点についたとき、詩人はまだ自分の出発点すら知らないのであるが、逆にいえば、指物師がようやく出発点についた段階で、詩人はすでに自分の仕事を終わっているともいえるのである。 要するに、芸術活動は技術活動とはちがって、そのなかに目的と手段の区別がなく、材料と完成品の区別がなく、企 画段階と実行段階の区別がなく、いうならば、行動の目的と過程の区別のない行動だ、と見ることができる。技術活動 が、目的をめざしてひたすら前方へと進む行動だとすれば、芸術活動は、むしろ、出発点を見つめつつあとしざりに進 む行動だ、ともいえるだろう。進むにつれて、芸術家の眼にはその後の世界が大きく見えるのであり、いいえれば、自分を出発点において駆り立て、いまも衝き動かしている力の姿が大きく見えるのである。いわば、彼は自分の出発点の含蓄を知り、その全体像を見きわめるためにあとしざるのであって、やがてその全貌が残りなく見えた時間、彼は自分の行動そのものを完結したといえる。 ▲
by sato_ignis
| 2016-08-01 17:01
| 講義
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