播磨加古郡別府村の人、滝野新之丞、剃髪して自得といふ。富春斎瓢水は俳諧に称ふる所なり。千石船七艘もてるほどの豪富なれども、遊蕩のために費しけらし。後は貧窶になりぬ。生得無我にして酒落なれば笑話多し。・・・・・大坂の知己の者遊女を請んといふを諫て、
手に取ルなやはり野に置蓮華草
母の喪に墓へまうでゝ、
さればとて石にふとんも着せられず
駿河の白隠和尚賞美の句のよし、
有と見て無は常なり水の月
達磨尊者背面の図に題す
観ずれば花も葉もなし山の芋
京の巴人といふもの病すと聞てのぼりしに、伏見にてはや落命したりときゝて、
嘘にしていで逢ふまでの片時雨
生涯の秀句と人のいへるは、
ほろほろと雨そふ須磨の蚊遣哉
七十六七ばかりにて終れりとぞ。
cf.
日文研 近世畸人伝(正・続)
cf. 濱までは海女も簑着る時雨かな