
語らず励む、生徒のK君が倒れた。腸捻転だそうだ。10月6日、入院先を見舞う。片ひざを立てたベッドの彼の、漠とした顔つきに、あらわせぬ激情を酌む。そばにいる間、己の腹がきしむほど、彼の痛みと、その意味を噛みしめていた。
1浪の初秋、虫垂炎、盲腸炎、腸の癒着、おまけに胃を痛めて、私は病院に担ぎ込まれた。飯田橋の
日本医科大学旧
第一病院に、40kgをきった体をころがして、管の間からひいひい息をしていた。筋肉注射で胃の痛みを抑え、人に遅れるあせりで肉を焦がし、波のようにやってくる自己嫌悪を、吐きどころのなく抱えていた。やさしい声は、心に届かなかった。
外科に空床がなかったため、私はガン病棟にいた。手術をしたから腹は痛い、悩ましいから胃も痛いが、よほどのバカをしない限り、私の命に差し障りはない。対して、同室の方々は、ちかくに明確な「死」を感じていた。実際、部屋から幾人も鬼籍にはいられた。起きあがるようになった私に、「命」の意味を生々しく、そして静かに語る方々もいた。
当然のような顔をして、ただ育とうとしている子供に、覚悟を持った方々の言葉が、すべて届いたとは思えない。それでも、私は確かにきき、感じ、考えていた。窓の外の街路樹が色づき、散ってゆくさまを眺めながら、鉄棒で体を突きさされるように、私をうつ、「何か」を受け止めようとしていた。そのころ、病室で志願校ーヤリタイコトーを決めたが、4月の計画からは大きくはずれたものになっていた。虚学だの食えないのと言われても、歴史を進路に選び、満足しているのは、自分の命について、じっくりと考え込む時間があったからだ。
予備校の友人たちや、何より家族に支えられて、センター試験がちらほらするころ、私は退院した。K君のそれはもっと早いだろうし、また祈っている。再び教室で会うだろう彼に、目をむくような変化を望むわけではない。しかし、これまでの自分が、ひしと「何か」を抱きしめてきたのだと、この経験から気づいていてくれたら、講師として個人として、心からうれしく思う。