つたわることば
by sato_ignis
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ボタン5つで1人 2005-03-10 10:17
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私が通っていたころ、豊多摩の朝礼は放送で、教室で聞くものだった。 ご多分にもれず、校長先生のお話は、あまり興味をひくものではなかったので、みな話をしたり、本をひろげたり、片耳だけをスピーカに傾けるのが常だった。ある3月の朝、彼はマイクの前で、訥々と自らの戦争体験を語りはじめた。 曰く、東京大空襲の翌日、私たち近隣の生徒は城東に動員された、死体を数えるためだ・・・炭化した死体を写真で見たことがあるだろう、死体に見えるだけ、あれらはましなほうだ・・・焼き尽くされ砕けると人は灰になる、まだくすぶる灰の山をかくと、焦げたボタンがでてくる、これを5つまとめて、「学生1人」と数える・・・昨日まで笑っていた人が、今日はボタン5つで1人になる・・・ボタン5つで1人・・・。 正確な数にも入らない死がありえるとは、当時の私には思いもつかなかった。放送の途中から、いつも明るくざわついている朝の教室が、ガラス越しに風を感じ取れるほど、静まりかえっていた。 1945年3月10日、東京大空襲。米軍による投下焼夷弾、48,194発。被害家屋、268,358戸。罹災者、1,008,005人。死傷者、124,711人。数字は警視庁調べ。実際の死傷者は、その数倍ともいわれている。
by sato_ignis
| 2023-03-12 01:44
| 雑記
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