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郷里の八戸の市街地からすこし離れた新井田というところに、対泉院という名の古刹があって、この寺の境内に天明の飢饉の際の餓死者を供養した石碑が残っている。飢饉の翌年に当る天明四年の暮に、このあたりの素封家だった松橋孫助という人物が建立したもので、高さ二メートル半ばかり、幅三十センチ、厚さ十二センチの石の表に、大きな文字で餓死万霊等供養塔とあり、裏には、飢饉の惨状を伝える文章が縁からはみ出さんばかりにびっしりと刻まれている。
この供養塔は、以前、山門の前の杉並木の入口に建てられていたが、戦後、大型トラックに突き倒され、いまは数ヵ所に鉄の箍をはめられて山門の横手に移されている。風説によれば、ちょうど餓死者が続出した天明四年閏正月とおなじ時候の、寒気の厳しい二月の夜ふけに、穀物を満載したトラックがそこへさしかかると、タイヤに鎖を巻いていたのに妙なスリップの仕方をして、まるで引き寄せられたかのように供養塔へ横腹を打ち当てたということだが、真偽のほどはわからない。 供養塔は倒れたが、脇に亀裂ができたぐらいで、思いのほか損傷がすくなかった。殊に裏面はほとんど無傷で、そこに刻まれている碑文は、途中の八字だけを除いていまでも残らず読むことができる。 その途中の八字の欠落は、無論そのときの損傷によるものではない。トラックに突き倒される以前から欠落していて、その欠落個所をよく見ると、自然の風化や剝離によるものではないことがわかる。そこだけ故意に、鏨のようなもので叩き潰したあとが歴然としている。 そこで、いつ、だれが、なにゆえに、その八字分の湮滅を計ったのかという疑問が起こるが、それは、その前後の文脈を見るとおよその推察がつく。 前にも述べたように、碑文は天明の飢饉の惨状をつぶさに伝えているが、欠落個所の前には、天明三年の異常気象と、人々が飢えに追い込まれてゆく様子が記されている。その年は、春から東北風(やませ)が吹き止まず、毎日のように雨が降りつづいて、夏のさかりでも綿入れを重ね着しなければならないほどに寒かった。そのために、田畑の作物は一面に実らず、青立ちになり、人々はくる日もくる日も山へ登って、蕨の根を掘り、海草山草はいうに及ばず、稲藁を刻んで粉にして食べたりした。 そんな記述のあとに、「あまつさえ人」とあって、それにつづく八字分が欠落している。欠落のあとには―――その上、翌辰年(天明四年)には領内に疫病が流行し、病死、餓死の人数おびただしく、死人は山をなし、また毎夜のごとく火事がつづき、押し込み、切り込み強盗を働く者も数知れず、まことに言語道断で、このあたりの住人千四百十八人のうち六百九十六人が死に、戸数二百十二軒のうち百三十六軒が潰れた、という記述がある。 この前後の文脈から、「あまつさえ人」以下の欠落部分には、おそらく「あまつさえ人の肉を食らい、云々」という記述があったのを、この供養塔の施主が世を去ってから、村の重立った人々の間に、共食いのことまで後世に伝えるには忍びないという意見が起こって、そこだけ削り取ったのだろうと推察できる。 というのは、その後、施主の松橋家から発見された『天明日記』と題する古文書のなかに、はっきり共食いの事実が書き残されているからで、こればかりではなく、ほかにも共食いの見聞を伝える民間の記録がすくなくない。たとえば、現存する商人の手紙、八戸の恵比須屋善六が江戸の井筒屋三郎兵衛に宛てた書状のなかにも、犬猫牛馬は申すに及ばず、 『死に掛かりたる人、人肉を切りはなし喰い居り候。格別にうまき味なる由申し候。実に甚だ塔しく言語同断、かかる時節に遇い候は如何なる不幸に御座候哉』 とある。 勿論、共食いが本当に行われたという証拠はどこにもないし、記録に残っているのは当時の噂にすぎなかったとする学者が多いのも事実だが、子供のころから天明の共食いを昔話に聞きながら育った私は、大人になってから、自分の個人的な事情―――肉親たちがおのれの生命や人生に対してあまりにも執着心が稀薄だったことへの反撥も手伝って、共食いしてまでも生きながらえようとした人々にすくなからぬ関心を抱くようになり、いつかは天明の飢饉を自分の文章で書いてみたいと思うようになった。ただ問題は、共食いするほどの惨状を語るのに耐え得る文体で、私はこれまでの二十年間、絶えずその文体をひそかに摸索しつづけてきたといっていい。 さきごろ文藝雑誌〈群像〉に連載した『おろおろ草紙』がその一応の成果だが、私はこれを書いている間、筆が重くなったり手がすくんだりするたびに、一と晩泊りで郷里へ帰って、新井田の供養塔に参詣した。 門前の雑貨屋で、季節の草花と、一と束の線香と、栗まんじゅうや、せんべいや、果物を買い、それらを手向けて、自分は供養塔と向い合って腰を下ろす。このあたりでは、供物はただ霊前に供えるだけではなく、死者と交歓するために参詣人も一緒にそれを食べるのがならわしだということで、そのことを初めにそこへ案内してくれた農家の主人に教わってからは、私もそのならわしに従った。 そうして半時間ほど、線香の煙に包まれながら、やたらにぼろぼろとこぼれ落ちる餡を手のひらに受けて栗まんじゅうを食ったり、まだ青いところが残っている蜜柑を口をすぼめて食ったりしているうちに、やはり、力して書くほかはないという気持がすこしずつ胸に溜まってくる。 帰りに、私は手を合わせて、もし自分が怯むようなことがあったら、みんなで飛んできて背中を押してくれるようにと祈ったりした。 「群像」十一月号(1982)
by sato_ignis
| 2022-06-29 12:26
| 読書
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