或る時、大阪行の急行の食堂車で、遅い晩飯を食べていた。四人掛けのテーブルに、私は一人で坐っていたが、やがて、前の空席に、六十恰好の、上品な老人夫婦が腰をおろした。 細君の方は、小脇に何かを抱えて這入って来て私の向いの席に着いたのだが、袖の蔭から現れたのは、横抱きにされた、おやと思う程大きな人形であった。人形は、背広を着、ネクタイをしめ、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥打帽子を被っていた。着附の方は未だ新しかったが、顔の方は、もうすっかり垢染じみてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色も褪あせていた。何かの拍子に、人形は帽子を落し、これも薄汚くなった丸坊主を出した。 細君が目くばせすると、夫は、床から帽子を拾い上げ、私の目が会うと、ちょっと会釈して、車窓の釘に掛けたが、それは、子供連れで失礼とでも言いたげなこなしであった。
もはや、明らかな事である。人形は息子に違いない。それも、人形の顔から判断すれば、よほど以前の事である。一人息子は戦争で死んだのであろうか。夫は妻の乱心を鎮めるために、彼女に人形を当てがったが、以来、二度と正気には還らぬのを、こうして連れて歩いている。多分そんな事か、と私は想った。
夫は旅なれた様子で、ボーイに何かと註文していたが、今は、おだやかな顔でビールを飲んでいる。妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き、自分の口に入れる。それを繰返している。私は、手元に引寄せていたバタ皿から、バタを取って、彼女のパン皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、気が附かない。「これは恐縮」と夫が代りに礼を言った。
そこへ、大学生かと思われる娘さんが、私の隣に来て坐った。表情や挙動から、若い女性の持つ鋭敏を、私は直ぐ感じたように思った。彼女は、一と目で事を悟り、この不思議な会食に、素直に順応したようであった。私は、彼女が、私の心持まで見てしまったとさえ思った。これは、私には、彼女と同じ年頃の一人娘があるためであろうか。
細君の食事は、二人分であるから、遅々として進まない。やっとスープが終ったところである。もしかしたら、彼女は、全く正気なのかも知れない。身についてしまった習慣的行為かも知れない。とすれば、これまでになるのには、周囲の浅はかな好奇心とずい分戦わねばならなかったろう。それほど彼女の悲しみは深いのか。
異様な会食は、極く当り前に、静かに、敢えて言えば、和やかに終ったのだが、もし、誰かが、人形について余計な発言でもしたら、どうなったであろうか。私はそんな事を思った。