...わたくしは女の言葉遣ひがぞんざいになるに從つて、それに適応した調子を取るやうにしてゐる。これは身分を隱さうが爲の手段ではない。處と人とを問はず、わたくしは現代の人と応接する時には、恰も外國に行つて外國語を操るやうに、相手と同じ言葉を遣ふ事にしてゐるからである。「おらが國」と向の人が言つたら此方も「おら」を「わたくし」の代りに使ふ。説話は少し餘事にわたるが、現代人と交際する時、口語を學ぶことは容易であるが文書の往復になると頗頗る困難を感じる。殊に女の手紙に返書を裁する時「わたし」を「あたし」となし、「けれども」を「けど」となし、又何事につけても、「必然性」だの「重大性」だのと、性の字をつけて見るのも、冗談半分口先で眞似をしてゐる時とはちがつて、之を筆にする段になると、實に堪難い嫌惡の情を感じなければならない。戀しきは何事につけても還らぬむかしで、恰もその日、わたくしは蟲干をしてゐた物の中に、柳橋の妓にして、向嶋小梅の里に圍はれてゐた女の古い手紙を見た。手紙には必ず候文を用ゐなければならなかつた時代なので、その頃の女は、硯を引寄せ筆を秉れば、文字を知らなくとも、おのづから候可く候の調子を思出したものらしい。わたくしは人の嗤笑を顧ず、これをここに録したい。
一筆申上まいらせ候。その後は御ぶさた致し候て、何とも申わけ無之御免下されたく候。私事これまでの住居誠に手ぜまに付この中右のところへしき移り候まま御知らせ申上候。まことにまことに申上かね候え共、少々お目もじの上申上たき事御ざ候間、何卒御都合なし下されて、あなた様のよろしき折御立より下されたく幾重にも御待申上候。一日も早く御越しのほど、先は御めもじの上にてあらあらかしく。
◯◯より
竹屋の渡しの下にみやこ湯と申す湯屋あり。八百屋でお聞下さい。天気がよろしく候故御都合にて唖々さんもお誘い合され堀切へ参りたくと存候間御しる前からいかがに候や。御たずね申上候。尤この御返事御無用にて候。
文中「ひき移り」を「しき移り」となし、「ひる前」を「しる前」に書き誤っているのは東京下町言葉の訛りである。竹屋の渡しも今は枕橋の渡と共に廃せられて其跡もない。我青春の名残を弔うに今は之を那辺に探るべきか。