「紀元節復活反対同盟」とかいうものに、署名していたことを、新聞で見て驚いた。文芸家協会の「水爆実験反対決議」の提案者の一人になっていたことも、議事録を見て、思い出した。無関心だったからではない。あんまりあたりまえのことなので、忘れていたのである。
テレビなんかで、一日の番組の終りで、画面一杯に、日の丸の旗が動くのを見、君が代が伴奏されるのを聞くと、いやな気がする。「逆コース」に対する憤慨なんて、高尚な感情ではない。なんともいえないみじめな気持に誘われるのだ。
わが家の日の丸は無論、終戦後米袋に化けた。そのうち破れて、その用もなさなくなったから、すててしまった。以来うちには日の丸はない。
日本国は再び独立し、勝手な時に日の丸を出せることになったが、僕はひそかに誓いを立てている。外国の軍隊が日本の領土にあるかぎり、絶対に日の丸を上げないということである。
捕虜になってしまったくらいで弱い兵隊だったが、これでもこの旗の下で、戦った人間である。われわれを負かした兵隊が、そこらにちらちらしている間は、日の丸は上げない。これが元兵隊の心意気というものである。
自衛隊幹部なんかに成り上った元職業軍人が神聖な日の丸の下に、アメリカ風なお仕着せの兵隊の閲兵なんてやっている光景を見ると、胸くそが悪くなる。恥知らずにも程がある。
捕虜収容所では国旗をつくるのは禁ぜ’られていた。帰還の日が来て、船へ乗るためタクロバンの沖へ筏でひかれて行ったら、われわれが乗るのは復員船になり下った「信濃丸」で、船尾に日の丸が下っていた。
海風でよごれたしょぼたれた日の丸だった。われわれが山の中で持っていた日の丸より、もっときたない日の丸だった。
私が愛する日の丸は、こういうよごれた日の丸で、「建国記念日復活促進国民大会」なんかでふり回されるおもちゃの日の丸なんか、クソ食えなのだ。
国旗は国のしるしであるから、日本の船とか飛行機が領土外へ出る時、こいつをつけて行くのは、必要なことである。しかし日本国内では、間違いは起りっこない。日の丸を出すなんて、余計なことである。
日本国が名実ともに、日本人の手で運営するようになった日を、建国記念日にすればよい。その時はわが家でも、身分相応の大国旗を買って、盛大になびかすつもりである。
『明治天皇と日露大戦争』は、ちぎれた日の丸が沢山出て来そうな映画だ。人並に泣きそうだが、あとでいやな気持になるにきまっているから、見に行かない。
cf. 2020-12-03 https://ignis.exblog.jp/30325724/