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昭和の日、快晴。父方の墓に、好物だった文明堂のかすてらボーロとセブンスターを供え、帰り、実家で父の誕生日と健勝を祝う。 父に、きみは最近いい顔をしているねえ、とほめられる。思わず笑ってしまったが、確かにそうかもしれない。コロナのおかげで、身も心も軽い。ZoomやらYouTubeやらで移動が減り、営業自粛で酒量も減り、ベッドとテーブルの時間は増えて、身はすこぶるすこやかだ。すみずみまで掃除をし、つんでいた本を読み、ためていたレコードを聴いて、心もみちたりている。何より元来、困ったなあ、参ったなあ、どうしましょうといったたぐいの状況になると、俄然やる気が湧いてくるたちである。ああしてみたらこうしてみたらと人となす試みが楽しい。九割九分の失敗がもたらす気づき、たまさか生まれる成果の分かちあいが嬉しい。ご時勢で、Facebookにあげた年頭所感のとおりに、はやくもなってしまった。 豊多摩や駿台や早稲田の連中とのつきあいも、四半世紀に近くなってきた。季節ごとに盃をかわしつつ、それぞれの仕事について聞いたり、育ちゆくお子たちに会ったりすると、我がことのように胸がおどる。さて、おのおの厄をこえたあたりから、時おり、お前はすごいなあ、と真顔で言われるようになった。酒の上のその嘆息が、感心のそれか、あきれかあわれみか、はたまた彼らの人生とひきくらべてのひとりごとかはよくわからぬが、我ながら、よくぞまあこの歳まで飢えも凍えもせず、カタチのないこのカタチで生きてきたものだ。 講師にせよ顧問にせよ、はたからみればいわゆるセンセイかもしれないが、資格も取らず免許も使わず、時間でおいくら案件でいかほどの日銭稼ぎにすぎない。転部も院試も留学も就職も研修も転職も、たずさわるすべてに自分自身の実体験がない。およばれをしてあちこちうかがうが、あくまでひとさまのタチアゲかタテナオシのお手伝いであって、おのれから売り込んだり、おのれが何かをなしているわけではない。カタチのないこのカタチ、ヤクザなシノギではないであろうが、胸をはってカタギです、ともいいにくい。そも、家も車も妻子もない。蔵もたてぬが借りもない。ほうぼうから多分に頂くが、じゃんじゃん持ち出すからいくばくかの貯えもない。今のところこれといった持病もないし、警察のご厄介にもなっていない。すがすがしいほど何もない。さばさばしたものである。 昨秋あたり、この初夏に病んで死ぬ夢を繰り返しみていた。高校入学直後、麻疹にかかって隔離されていた病室の風景に似ている。ぜいぜいと息をして、目の奥と足腰がやたらと痛むのだが、そう苦しくも悲しくもない。幼い頃から正夢のケがあり、あと半年の命かなあ、などとぼんやりと覚悟していた。書類を整理したり保険を見直したりしながら、いつにもまして会いたい人に会い、行きたいところに行き、見たいものを見て、食べたいものを食べていた。講義ごと、これが最後かもしれないな、とひとりごちて教壇に立っていた。昨今の報道には、デジャヴそのもので震えあがる映像もあった。しかし、死を想っての生活は、畢竟、その夢をみだすまでの日常と、とりたてて変わるものではなかった。 諦めるの語源は、明らめるである。リアルな夢見と世の移ろいがあいまって、カタチのない、何も持っていないおのれが、ますますあきらかになってきた。同時に、無相、無一物であればこその、ずぶとさとずうずうしさも、ありありとみえてきた。しがみつくべきカタチもモノもないから、張るべき我も、後顧の憂いもない。およそしがらみがないから、いらぬ遠慮も、日々の鬱屈もない。いまここにいる私の眼前にいるものは、支えあう親兄弟、分かちあうはらから、頼もしい教え子、偲ばれる縁者や恩師である。いまここにある私の眼前にあるものは、うっとりとする、美しい色、うまいもの、楽しい時である。毎日は、彼らやそれらと好きなように生き、おどろいたりよろこんだりしている一刹那なのである。遊びは、仕事は、およばれであり、おもてなしである。どちらにせよそこには、人と生きる、しなやかでたくましい、かつやわらかくあたたかい、生きる幸せがある。 ひとかどとまではゆかぬとも、なにかしらのカタチにはなりたいものだ、ともがきつづけた青春であったはずだが、壮年となってふりかえってみると、あにはからんや、そうでもなかったように思われる。書類整理の途中、ふと高校時代の文章を読み直した。修学旅行の感想では、美しい色、うまいもの、楽しい時があればそれでよい、としてあった。卒業の文集では、トヨタマでつちかわれた性格は、「大丈夫、なんとかなる、多分」に代表される、いつ何時も何事もそれを幸運としてうけとめつつ明日の為に今日をよく生きましょうよという緩慢さである、としてあった。トヨタマで得たものは、友人と、ズボラさと、少しの身長ー、としてあった。感じ方も考え方もおそらくそのとおりであったし、今でもほぼそのままなのである。ナルホドしてみれば、当時から今日の今日まで、四半世紀にわたる有相へのもがきも、つまるところ我が集諦のかけらにすぎず、その実態の実体は、さまざまに捨て、また捨てられながら、いまここを、ずぶとくずうずうしく、好きなように人と生きてきただけなのである。 じいさんもそうだったけど、きみは昔から人にいい言葉をつかうねえ、とまた父にほめられる。確かにそうかもしれません、とうなずく。親類の誰もが、祖父に一番にているのは私だという。祖父は、カタチのないカタチの、いわゆるセンセイだった。財は遺さず、ずぶとくずうずうしく、生涯を好きなように生きていたようだが、人にいい言葉をつかい、いつでもどこでも人好きのする、えもいわれぬあかるさがあった。鋭敏なメとハナを持ちつつも、両手ばなしで人を愛し、我がことのように人を慈しんだ。素朴だが、心くばりのまことこまやかなふるまいやひとことに、しばしば助けられ、常に慰められた。 おのれの誕生日は、ふた親をおとなう日になった。ふた親の誕生日は、ふた親のそのふた親に祈りをささげる日になった。いまここの、無相、無一物のおのれには、ともに生きる人がいて、連綿、この身に脈々と流れる、ずぶとくずうずうしい、心と言葉とがある。 最期はぜいぜいと息をしていたが、そう苦しそうでも悲しそうでもなかった。霊安室に、かわるがわる看護師がやってきて、すてきなおじいちゃんでしたよ、と病室での愉快なやりとりを伝えてくれては、ていねいに手をあわせてくれた、あの旅立ちの朝を思い出す。
by sato_ignis
| 2020-05-01 19:13
| 雑記
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