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例えば「世界」という単語。そこから普通は、国際情勢とか諸外国のニュースとかいった人間社会の世界のことを考えるらしい。 ところで、わたしはいつもこの単語から、中学生のときに登った甲斐駒ヶ岳、その頂上の眺望に驚いて茫然としたときのことを思い出す。 わたしの視野、わたしの目玉は、それまでこんな広がりを入れたことはなかった。わたしは無限とか永遠といった言葉が見える物だとは想像できなかったと、そのとき思ったものだ。 七合の小屋に泊まって、まだ夜明けにならないうちに起こされたわたしは、眠気の覚めないぼんやりとした頭で頂上にたどり着いた。夏だというのになんと寒いことだろうとふるえている身には、御来光などどうでもいいような気分だった。わたしがおじさんとよんでいた引率者のI氏は、わたしの肩を強くたたいて「しゃんと目を覚ませ」としかった。 東の空がスミレ色に変わってきた。脚下一面、暗い雲海がだんだんわかってきた。空は刻々と微妙に変化し、スミレ色の上空に、とても、この世では二度と見られまいと思うような透明は薄いセルリアン・ブルーが現れた。じっと眺めていると、それはだんだんコバルトに染まっていく。遠い東天に懸かっていた三筋ほどの棚雲が、淡い緑から急速調で濃いオレンジに変化したと思っているうちに、一筋の黄金色のハープの弦が天心に矢になって走った。強いトランペットが耳元で鳴ったかと思った。わたしはいっぺんに眠気が飛び去って、この世界誕生の序曲の前に緊張して佇立した。光の矢は次々と天心を貫き、やがて正視できぬ輝きの中心がせり上がったその瞬間、世界はその光の矢に洗われて、それまでの姿を一変し、闇のエモーションはあとかたもなく消え去った。明るい。ただ明るい青い空気がこともなく天地に満ちて、遠い山並みの間に沈殿していた雲海は、次第に形を崩して刻々とぬぐわれていく。 頂上に立っていた人は十五、六人だったと思った。だれもかれも彫刻のように静止していて、ばんざいを叫ぶものは一人もいなかった。だれもかれも、その大きな感動に縛られていてただ沈黙するのみだった。 わたしは心の中でセカイという言葉を反すうしていた。何度もセカイセカイとくりかえしていた。どんな辞書にもなかった理解がそこにあった。生まれて初めて高い山に登って、こんなすばらしい光景に巡り会った自分は本当に幸福だと思った。 口に出しては言わなかったが、心の中でわたしはI氏に深く感謝した。 山上の景観には人間の世界を越えた認識があるし、単なる自然をも超越した思想があるように、わたしは感じている。 幼い日に、「そこには無限とか永遠といった言葉が見える」と書いた日誌の表現は言葉足らずなものだが、その実感はいまだ死なずわたしの心の中に生きている。 だれだって、自分の視野をこえることなどできはしない。あとは信じることができるかできないかだけだ。しかし山上の景観には、世界という全体でありひとつであるものの存在を信じさせる力があった。 「辻まことの世界」みすず書房、1977 辻まこと(1913-1975)1975、私の生まれた年。
by sato_ignis
| 2019-05-01 17:21
| 読書
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