冬の冷たい風が、痩せた禿鷹のように会葬者の口と、壁にピンでとめられた赤い弔旗の間を吹きぬけた。「いくら寒くてもこういうところでは手をこすってはいけない……」葬儀委員長は重々しい足どりで祭壇の前に歩みよった。一層静かになった。だが、この静けさには何か欠けたものがある、悲しみもあり、人の死にふさわしい厳粛さもあるが、吹きぬける風をとめる力を持つ何かが欠けている。委員長は声を高めて言った、「三十余年の同志の死にあい、許されるならば、私が君にかわりたかった……」(この誇張を、誰も不思議に思わないのはそれが葬儀というものだからだろうが)大学教授は遺影を見あげて言った、「いまは静かに眠ってください。そしてわれわれの望んでいるような時が来たら眼をさまして立ち上がってください……」(そんなことができるとは誰も思ってはいないが、葬儀は死者にとって大切というより、生き残った者の慰めなんだ)黙祷。静かな一分間の長さ。人の死がこんなに悲しくないものとは今が今まで気がつかなかった。第二次大戦における日本兵士の戦死、行方不明は二百五十六万五千八百九十八名、一般市民は約六十万人、そしてここに今、行なわれているのは一人の代議士の葬儀。委員長はまた祭壇に近づき、作法通り、三度、香をつまんで、三度、頭をさげた。(彼は無宗教のはずだった)続いて顧問が立って、おなじ所作をくりかえした、(かれはクリスチャンのはずだった)「いくらのみたくても、こういうところでは煙草をとり出すわけにもゆかぬ」斎場を出てマッチをすると、炎は大きく大きく、夕陽のように燃えて消えた。タクシーに合図する僕の右手に穴をあけて、死はまた風のように、どこかへ吹きぬけてしまった。
cf. 2004-12-22 http://ignis.exblog.jp/1486628/