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きみの上に照る毎日毎日を最後の日と思いたまえ。そうすればきみの予期していなかった時間をきみは感謝をもってうけとることだろう。(ホラティウス『書簡詩集』一の四の一三〜四) どこで死がわれわれを待っているか、たしかではないのだ。われわれのほうがいたるところでそれを待とうではないか。死をあらかじめ思いみることは、自由をあらかじめ思いみることだ。死ぬことを学びとった者は屈従することを忘れ去った者だ。どのように死ぬかを知ることは、あらゆる従属と束縛からわれわれを解きはなす。(c)生命の喪失が不幸でないことをよく理解した者にとっては、生の流れのなかになんの不幸もありはしない。(a)アエミリウス・パウルスは、みじめな身の上となった彼の捕虜のマケドニア王が、凱旋式に自分を連れていかないでほしいとたのむためによこしてきた男にたいして、「彼は自分自身にその請求をおこなえばよいのだ」と答えた 。 まったく、あらゆるものごとにおいて、もし自然が多少とも力を貸さないとすれば、技術や技巧がおおいに前進することは困難だ。わたしは元来憂鬱な性格ではないが、夢想家だ。死についてのさまざまな想像以上にわたしがいつもずっと心に抱いたものはなにもない。まったく、わたしの生涯のもっとも勝手気ままな時期にも、 (b)わたしの花ひらいた年ごろが楽しい春をくりひろげていたころ。(カトゥルス『詩集』六八の一六) (a)女性たちのあいだでいろいろな遊びをしているとき、ひとはわたしがひとり離れて、なにか嫉妬の気持ちのようなものを心のなかでこなしきろうとしているのか、そうでなければふたしかななにかいい見込みについて思いめぐらしているのかと考えていたが、ほんとうは、そのときわたしは、わたしの知らないある人間が、数日前同じような宴会の席から出たとき、わたしと同様にあたまを怠情と恋愛と楽しさでみたしたまま、熱病に突然とりつかれて生涯を終えたことを、そして同じことがわたしの耳のところにもぶらさがっているということを、ひたすら自問自答していたのだ。 (b)それはすぐに過ぎ去ってしまい、あとから呼びかえすこできない。(ルクレティウス『事物の本性について』三の九一五) (a)わたしはそういうことを考えていたものの、ほかの考えをするのと同じように、眉根にしわを寄せたりはしていたなかった。われわれはそのようなさまざまの想像の与える痛みをはじめから感じないでいることはできないが、それらをいじりまわし、くりかえし扱っていると、ながいあいだには、それらをかならず飼いならしてしまうものだ。そうでなければ、わたしとしても、絶えることのない恐怖と狂乱のなかにいたことだろう。というのは、かつてだれも、わたしほどにそのいのちを信用しなかった者はいないし、その寿命をあてにしなかった者はいないからだ。現在までわたしはひじょうに潑剌としたほとんどとぎれたことのない健康に恵まれているが、その健康も、わたしのいのちににたいする期待をながく延ばしもしないし、また病気もそれをみじかくはしない。毎分ごとにわたしは自分自身からのがれ出ていくような気がしている。 (c)そして自分にむかってたえずくりかえし唱えている。「いつか先で起こり得ることは、今日にでも起こり得ることだ」。(a)まったく、かずかずの偶然や危険は、われわれをほとんどまたは全然、われわれの最期へ近づけはしない。そしてもしわれわれが、われわれをもっともおびやかしているように思われるその事件がないとしても、われわれのあたまの上にはほかのどれほど数おおくの事件がおしよせてきているかを考えるならば、われわれは、元気であろうと熱があろうと、海上にいようと自宅にいようと、戦いに出ていようと休息していようと、死はわれわれのかたわらに同等にあるということがわかるだろう。(c)《だれもほかの人間よりもさらに脆いということはなく、だれも自分の翌日についてさらに安全だということはない》(セネカ『書簡』九一)。 (a)死ぬ前にわたしがしなければならないことをしとげようとすれば、それが一時間かかるものだったとしても、暇全体がわたしにとってはみじかく思われることだろう。先日、ある人がわたしの書付帳をめくっていて、わたしが、わたしの世を去ったあとで、してもらいたいと思っていることを覚書にしたものを見つけ出した。わたしはその人に、ほんとうのところ、あるときわたしが家から一里のところにいただけで、しかも健康で元気だったのに、家まで帰り着くのが全然おぼつかないような気がして、それをその場で急いで書きつけたのだったということを言ってやった。(c)さまざまな自分の考えでたえず自分をはぐくみ、またそれらを自分のうちに収め守る者として、わたしは、自分にできる程度には、いつでも用意をととのえてある。だから死の突然の訪れも、わたしに新しいことをなにも教えはしないだろう。 荒木昭太郎訳 モンテーニュ「エセー」第1巻第20章
by sato_ignis
| 2017-03-11 23:36
| 講義
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