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C氏の芸術理論をひと言でいえば、芸術とは、人間がみずからの内部の曖昧な感情をのぞきこみ、それを言葉やかたちや音によって定着し、何よりも自分自身のために、その感情を明確化する営みにほかならない。けだし、人間はみず からの感情の動揺によって苦しむ動物であるが、とりわけ苦しいのは内部に何かしら無形の衝動が渦巻いていて、しかも、その気分の性質がわれながら名状しがたいときであろう。芸術はまさにそういう人間にたいする救済としてあるのであり、その混滝たる感情に輪郭をあたえ、指さして語りうる明快なものに変えて、彼の意識の支配下に置く活動なのである。表現とは、第一義的にそうした感情発見の作業なのであり、外に相関物を作ることによって自己の内面を確認する営みであって、およそ、内部にある既知の何ものかを外に投げ出す仕事ではない。そのさい、人間の感情はおおむね外の世界にかかわる感情であるから、内部を明確化するということは、同時に、彼自身にとっての外界を明確化することにほかならない。その意味で、芸術はまた、感情を通じてものを正しく見さだめる方法なのであり、科学や哲学と並んで、それとは別の方法によるもうひとつの世界認識の営みだ、と見ることもできる。単純化していえば、人間は自分の心に映っているものについて、それを外に描くことによってよく見るのであり、歌うことによって聞くのであり、語ることによって知るのであり、つまりは、表現することによって認識するのである。
そして、芸術がまさにこういうものであるとすれば、それは行動の構造の点で、現実生活の大部分を占める技術活動とは正反対のものにならざるをえない、というのがC氏の主張であった。なぜなら、技術活動がその出発点において特定の目的を持ち、みずからが何をめざしているかを明確に知っているのにたいして、芸術活動はまさに、それを知らないところから出発する行動だからである。 ひとりの指物師が机を作る場合、彼は、あらかじめその机の厳密な設計図を持ち、それを作るに適当な限定された手段を持ち、かねて詳細に決められた工程と手順にしたがって、おもむろに制作の実行を進めることになる。しかし、ひとりの詩人が詩を作る場合、あらかじめ彼の胸中にあるのは漠然とした気分の混沌と、それを言葉で表現したいとい う曖昧な願望だけであって、そのための設計図はもとより、限定された手段も詳細な工程も存在しない。彼は、その漠然たる気分を見きわめようとして、それに適切な言葉をあれこれと選ぶのであるが、このとき彼はまだ自分が何にたいして適切な言葉を選んでいるのかをさえ知らない、といえる。やがて詩人は、思考錯誤のすえに、ようやく自分の感情をいいあてた一連の言葉を見いだすであろうが、じつはそのとき、彼は言葉とともに、初めて自分の感情そのものを見いだしたといわねばならない。指物師の仕事になぞらえれば、詩人はこの段階にいたって、ついに自分の目的とその手段を知ったことになるが、しかし、その瞬間、彼の詩はたんなる設計図ではなく、すでに完全な作品としてできあがっている。一面では、指物師が仕事の出発点についたとき、詩人はまだ自分の出発点すら知らないのであるが、逆にいえば、指物師がようやく出発点についた段階で、詩人はすでに自分の仕事を終わっているともいえるのである。 要するに、芸術活動は技術活動とはちがって、そのなかに目的と手段の区別がなく、材料と完成品の区別がなく、企画段階と実行段階の区別がなく、いうならば、行動の目的と過程の区別のない行動だ、と見ることができる。技術活動が、目的をめざしてひたすら前方へと進む行動だとすれば、芸術活動は、むしろ、出発点を見つめつつあとしざりに進 む行動だ、ともいえるだろう。進むにつれて、芸術家の眼にはその後の世界が大きく見えるのであり、いいえれば、自分を出発点において駆り立て、いまも衝き動かしている力の姿が大きく見えるのである。いわば、彼は自分の出発点の含蓄を知り、その全体像を見きわめるためにあとしざるのであって、やがてその全貌が残りなく見えた時間、彼は自分の行動そのものを完結したといえる。
by sato_ignis
| 2016-08-01 17:01
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