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私の曽祖父は、自ら独りで旧藩時代に対する全責任を負うという決意をかためてしまったものらしい。新しい時代にはいってからはどこからどうすすめられても官途には一切就かなかった。伊予鉄道という私鉄の創設だけには、相談役という形で関係したらしく、一生そこのパスだけは持っていて、それを利用して、海への沖釣りに出かけたり、夏などは、始発駅から、終点駅までの間を何回も往復する車中納涼を楽しんだりしていた。八十近くで亡くなったと記憶するが、余生の全部を、囲碁、謡曲その他の趣味に、タップリと費やしてしまった。絶えず余裕を持って、しかも絶えず屈託なしに日毎を迎えては送りつづけた。亡くなった際に虚子先生からおくられた弔句が
御 足 袋 の 事 十 一 文 の な つ か し き というのであったが、武術で鍛練した身体は、道具の大きい顔容と共に、いかにも旧藩時代の人らしく重々しかった。 この曽祖父が、どういう因縁から始まったのか私は詳しくは知らないが、年齢上三十歳、四十歳以上を距てての、虚子先生の一種の友人であって、ホトトギス誌が絶えることなく寄贈されてきていた。古い同誌に「二老人」というような題で、虚子先生がこの曽祖父と、もうひとり別の或老人と、梅津寺という海岸の涼亭で、一日碁を囲んで悠々と遊びくらした折のことを写生文にして載せられたことがある。 その折のもう一人の老人は、瓢逸な性格で、「睾丸」がどうとかしたというような、「蒼古にしてグロテスクな」冗談ロをたたいて、独りで哄笑していると、碁の相手の曽祖父は、そういう軽妙さとは違うまた一種の自然さで、「火降りで、やれやれ」という一つ言葉を繰返して、しきりに碁の上での窺状を自分で笑って面白がっているような姿が描いてあった。「やれやれ」というのは、「やれやれ困った」という場合の「やれやれ」であり、「火降り」は「火の車」などと同義語の進退谷ったことの形容である。この一文の事を思い出して、私はいつか虚子先生 に、「こんなことをいっては失礼ですが、 ——先生は、極端に相反する二つの傾向の性格がお好きのようですね。つまり、全然執着というものを絶った淡自な性格か、又は反対に、どんな批難を集中されても平然とある一事をどこまでも押し通し切る性格か、そのどちらかをです」 と話したことがある。 虚子先生は、虚子先生らしく、説明ぬきに簡単に「あの人は偉い人だったです」と言われたようである。しかも曽祖父の余生の斯かる送りようその物は、今の私をただ偉いという結論に一途に導きかねるところのものを含んでいるけれども(経済という一点からいってもあのとおりの生活方法は現在の世のどこに於ても実現されようわけがない) ——私が、こんな他愛のない一文を書く気になったのは、この曽祖父が臨終に於て示した「偉い」という評語をさえ絶した一種不思議な執着のなさである。 曽祖父は、ときどき手軽な鍋焼饂飩などをとりよせて、親戚の老幼にふるまい、一晩みんなが気軽に語りあうのを傍にあって眺めているのが好きであったが、もう臨終が迫ったと自ら悟った日にもまた、そんなような小集会の形をとることを望んだ。 遺言などを一応型どおり済ませてしまうと、みんなに、取乱さない気持でただ枕頭に近くいてくれることを望んだ。そして自分はしずかにというより寧ろ平然と ——断末魔のくるのを待った。「さよなら」も言ってしまって、曽祖祖父は自ら眼をつむっているのだが、永年武芸で鍛えあげた身体の中心に位する心臓が、法外に強靭すぎたと見えて、いつまでも脈搏がとまらない。曽祖父は、もう一度眼をあけてみてもまだ自分が死ねて居ないのを発見する。もう一度拶するような眼つきで、みんなの顔を眺めてから眼をとじる。しかし、心臓の活動からくる、痙攣のような五体への波動はいつまでもやまない。 突然、曽祖父は、女々しいものを軽蔑する場合のように、真からうるさそうに呟いた。 「ああしつこい」 予期しようもないものにぶつかることが「おどろき」の意味であるとするならば、当時中学の初年級生であった私は、この曽祖父のかすかな呟きによって、生まれて初めて「おどろき」というものを経験したのだということが出来る。そして、真の「おどろき」は、また直ちに真の「いましめ」であるという意味に於いて、この曽祖父のかすかな呟きは、いつの日にも私の心の中で鮮かに鳴りひびいているのである。
by sato_ignis
| 2016-06-08 03:03
| 講義
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