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蛍の光が霞むように、一人の老人の命が病室から消えていった。盆踊りの賑わいが熱帯夜の風にのってきれぎれに聞こえていた。
その老は二十日あまり前、外来にたった一人でぶらりとやってきた。診察の結果は手遅れの肺癌であった。 身なりも言葉遣いも上品であり、個室に入院していたが、いつまでたっても誰も見舞いに訪れなかった。カルテに書かれた住所も電話もでたらめであった。 呼吸困難で歩行もままならなくなったある日、X老人とじっくり話し合うことにした。 X老人は、鼻孔に入っているチューブの酸素濃度を上げてやると少し呼吸が楽になったのか、ぽつりぽつりと話し始めた。 「先生は身寄りのない年寄りを入院させて困ったと思っていらっしゃるでしょうね。しかし私には妻と五人の子供がいて、孫は十三人もいるのです。夫婦仲が悪く、子供たちと仲違いしてるかとお思いでしょうが、それは違っています。今年に金婚式を挙げた仲の良い日本的な夫婦の一組と言っていいでしょう。息子も娘も私の期待以上の大学を出 て、それぞれの社会生活の上、幸福な家庭を営んでいます。 孫も一人も欠けないで元気にそれぞれの道を目指しています。それなのに何故といわれますか? 妻は陰になり日向になり、辛抱強く私を支えてくれました。子供たちは私の生きていく力となり望みとなり、期待に十分応えてくれました。孫たちは私に様々の夢と希望を持たせてくれています。 彼らや彼女たちは私が与えた何倍ものものを私がこの人生を生きるために返してくれています。初めは、妻や子や孫に見取られて一生を終えられたらなんて、甘い身勝手な考えをしていました。私はつい、人間は生まれた時から死ぬまで一人であるということを忘れようとしていたのですね。妻も、元気な私なら喜んで手を携えて行きたいでしょうが、日に日に老いさらばえて行く病人の最期を、手を握って見取る義務はないでしょう。 もちろん、毅然とした強い父親に憧れていた子供たちに、苦しみでのたうちまわるこの哀れな老人など見せるべきではないと思います。前途有為な孫たちには、永久に素敵な“お祖父様”のイメージを残すのもささやかな老人の務持でしょう。先生、一人の年寄りの我が儘を聞いて、ここで一人で死なせてやってくれませんか」 そこには常在死の葉隠の古武士が息絶え絶えに横たわっていた。私は目頭が熱くなり、涙を流すまいとずっと病室の天井の染みを数えていた。「死ぬための費用はいささか用意してあります。枕の下に銀行の通帳と印鑑があります。 私の命は今年の蛍の命と同じぐらいでしょう。二千万くらいあると思います。くれぐれも私が死ぬまで家族には連絡しないでください。家族は私の残した手紙を見て決して捜さないと思います。 武士の情けを理解する人間に育てたつもりです。先生をこの世での最後の友として、すべてをお話ししました。先生、蛍は人間を楽しませるためにあのように光を放っているのではないのです。蛍は自分が生きるために光っているのです。私が妻や子や孫にと思ってつくして来たこの人生も、すべて私自身のためだったのです。疲れたので休ませてもらいます」 X老人の命は、蛍の光のようにいつか淡くなった。 穏やかな死に顔であった。通帳は無記名であったが、一緒に出てきた色紙には蛍が一匹光を放っていた。サインは私にもわかる有名な画家のものであった。 「健康科学新聞」八月一日 佐藤英一(神戸大学医療技術短期大学部教授) 「ネパールのビール’91年版ベスト・エッセイ集」文芸春秋 1994
by sato_ignis
| 2016-06-08 02:31
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