錦木――京の木屋あたりで流連でもしたご經驗のある方なら、先刻ご存じのもの。宵の遊び疲れで、夜の明けたのも知らず、晝近くなつて、やつと重い頭を持ち上げ、
蒲團着て寢たる姿や東山
目前に加茂川の清い流れのせせらぎを耳にしつつ、どうやら眼の覺めて、用意の控への坐敷に直つたとき、にこにこ、ぞろぞろ這入つてきた紅裙さんたちの年頭が言ふ、
「お早うさん……」
の次は、直ちに、
「今朝、なんでまま(御飯)おあがりやす。今日は、あつさりと、錦木でままおあがりやすな」
とくる。この錦木でまま食べて、はじめて、ために心氣爽然となるてふ代物なのである。
上等のかつをぶしを、せいぜい薄く削り、わさびのよいのをネトネトになるやう細かく密におろし、思ひのほか、たくさんに添へて出す。で、これが食ひ方は、兩方適宜に自分の皿に取り、ざんぐりと箸の先で混ぜて醤油を適量にかけ、それを炊きたての御飯の上に載せて、口に放り込めばよいのである。同時にアッと口も鼻も手で押へて、しばし口もきけないやうなのが錦木の美味さである。この場合、淺草のりなぞを混ぜてもよいが、むしろそれは野暮であらう。最高の錦木とは、上等のかつをぶしの中心である赤身ばかりを薄く削ること、太いよいわさびを細かいおろし金で密におろすこと。御飯をこはくなく、やはらかくなく、上手に炊くこと。そして炊きたてであること。食器は平らな皿に入れないで、やや深目の向附に盛ることである。
錦木と稱するのは、削つたかつをぶしの片々を、木の錦木のへらへらになぞらへたものにほかならないと思ふ。