Twitter
ノオト
記事ランキング
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2024年 12月
2024年 08月 2024年 04月 2024年 01月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 03月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 08月 2021年 06月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 09月 2019年 07月 2019年 05月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 04月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 01月 2015年 09月 2015年 05月 2015年 03月 2015年 01月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 10月 2008年 06月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 2004年 09月 その他のジャンル
画像一覧
|
松戸與三はセメントあけをやつてゐた。外の部分は大して目立たなかつたけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽われてゐた。彼は鼻の穴に指を突つ込んで、鐵筋コンクリートのやうに、鼻毛をしやちこばらせてゐる、コンクリートを除りたかつたのだが一分間に十才づつ吐き出す、コンクリートミキサーに、間に合はせるためには、とても指を鼻の穴に持つて行く間はなかつた。
彼は鼻の穴を氣にしながら遂々十一時間、——其の間に晝飯と三時休みと二度だけ休みがあつたんだが、晝の時は腹の空いてる爲めに、も一つはミキサーを掃除してゐて暇がなかつたため、遂々鼻にまで手が屆かなかつた——の間、鼻を掃除しなかつた。彼の鼻は石膏細工の鼻のやうに硬化したやうだつた。 彼が仕舞時分に、ヘトヘトに成つた手で移した、セメントの樽から小さな木の箱が出た。 「何だらう?」と彼はちよつと不審に思つたが、そんなものに構つて居られなかつた。彼はシャヴルで、セメン桝にセメントを量り込んだ。そして桝から舟へセメントを空けると又すぐ其の樽を空けにかかつた。 「だが待てよ。セメント樽から箱が出るつて法はねえぞ」 彼は小箱を拾つて、腹かけの丼の中へ投り込んだ。箱は輕かつた。 「輕い處を見ると、金も入つていねえやうだな」 彼は、考へる間もなく次の樽を空け、次の桝を量らねばならなかつた。 ミキサーはやがて空廻りを始めた。コンクリがすんで終業時間になつた。 彼は、ミキサーに引いてあるゴムホースの水で、一と先づ顏や手を洗つた。そして辨當箱を首に卷きつけて、一杯飮んで食ふことを專門に考へながら、彼の長屋へ歸つて行つた。發電所は八分通り出來上つてゐた。夕暗に聳える恵那山は眞つ白に雪を被つてゐた。汗ばんだ體は、急に凍えるやうに冷たさを感じ始めた。彼の通る足下では木曾川の水が白く泡を噛んで、吠えてゐた。 「チェッ! やり切れねえなあ、嬶は又腹を膨らかしやがつたし、……」彼はウヨウヨしてゐる子供のことや、又此寒さを目がけて産れる子供のことや、滅茶苦茶に産む嬶の事を考へると、全くがつかりしてしまつた。 「一圓九十錢の日當の中から、日に、五十錢の米を二升食はれて、九十錢で着たり、住んだり、箆棒奴! どうして飮めるんだい!」 が、フト彼は丼の中にある小箱の事を思ひ出した。彼は箱に就いてるセメントを、ズボンの尻でこすつた。 箱には何にも書いてなかつた。其のくせ、頑丈に釘づけしてあつた。 「思はせ振りしやがらあ、釘づけなんぞにしやがつて」 彼は石の上へ箱を打つ附けた。が、壞われなかつたので、此の世の中でも踏みつぶす氣に成つて、自棄に踏みつけた。 彼が拾つた小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。それにはかう書いてあつた。 ——私はNセメント會社の、セメント袋を縫ふ女工です。私の戀人は破摧器へ石を入れる事を仕事にしてゐました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、其の石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌りました。 仲間の人たちは、助け出さうとしましたけれど、水の中へ溺れるやうに、石の下へ私の戀人は沈んで行きました。そして、石と戀人の體とは碎け合つて、赤い細い石になつて、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉碎筒へ入つて行きました。そこで鋼鐵の彈丸と一緒になつて、細く細く、はげしい音に呪の聲を叫びながら、碎かれました。さうして燒かれて、立派にセメントと成りました。 骨も、肉も、魂も、粉々に成りました。私の戀人の一切はセメントに成つてしまひました。殘つたものは此の仕事着のボロ許りです。私は戀人を入れる袋を縫つてゐます。 私の戀人はセメントになりました。私は其の次の日、此の手紙を書いて此樽の中へ、さうと仕舞ひ込みました。 あなたは勞働者ですか、あなたが勞働者だつたら、私を可哀相だと思つて、お返事下さい。 此樽の中のセメントは何に使はれましたでせうか、私は其れが知りとう御坐います。 私の戀人は幾樽のセメントに成つたでせうか、そしてどんなに方々へ使はれるのでせうか。あなたは左官屋さんですか、其れとも建築屋さんですか。 私は私の戀人が、劇場の廊下に成つたり、大きな邸宅の塀に成つたりするのを見るに忍びません。ですけれど其れをどうして私に止める事が出來ませう! あなたが、若し勞働者だつたら、此セメントを、そんな處に使はないで下さい。 いいえ、ようございます、どんな處にでも使つて下さい。私の戀人は、どんな處に埋められても、其の處々によつて屹度いい事をします。構ひませんわ、あの人は氣象の確かりした人ですから、きっと其れ相當な働きをしますわ。 あの人は優しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未だ若うございました。二十六に成つた許りでした。あの人はどんなに私を可愛がつて呉れたか知れませんでした。其れだのに、私はあの人に經帷布を着せる代りに、セメント袋を着せてゐるのですわ! あの人は棺に入らないで廻轉窯の中へ入つてしまひましたわ。 私はどうして、あの人を送つて行きませう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬られてゐるのですもの。 あなたが、若し勞働者だつたら、私にお返事下さいね。其の代り、私の戀人の着てゐた仕事着の裂を、あなたに上げます。此の手紙を包んであるのがさうなのですよ。此の裂には石の粉と、あの人の汗とが滲み込んでゐるのですよ。あの人が、此の裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでせう。 お願ひですからね。此セメントを使つた月日と、其れから委しい所書と、どんな場所へ使つたかと、其れにあなたのお名前も、御迷惑でなかつたら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さやうなら。 松戸與三は、湧きかへるやうな、子供たちの騒ぎを身の廻りに覺えた。 彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであつた酒をぐつと一息に呻つた。 「へべれけに醉つ拂ひてえなあ。さうして何もかも打ち壞して見てえなあ」と怒鳴つた。 「へべれけになつて暴れられて堪るもんですか、子供たちをどうします」 細君がさう云つた。 彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。
by sato_ignis
| 2013-07-30 00:56
| 読書
|
ファン申請 |
||