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私がかうして書齋に坐つてゐると、來る人の多くが「もう御病氣はすつかり御癒りですか」と尋ねてくれる。私は何度も同じ質問を受けながら、何度も返答に躊躇した。さうしてその極いつでも同じ言葉を繰り返すやうになつた。それは「ええまあどうかかうか生きてゐます」といふ變な挨拶に異ならなかつた。
どうかかうか生きてゐる。——私はこの一句を久しい間使用した。しかし使用するごとに、何だか不穩當な心持がするので、自分でも實はやめられるならばと思つて考へてみたが、私の健康状態を云ひ現はすべき適當な言葉は、他にどうしても見つからなかつた。 ある日T君が來たから、この話をして、癒つたとも云へず、癒らないとも云へず、何と答へて好いか分らないと語つたら、T君はすぐ私にこんな返事をした。 「それあ癒つたとは云はれませんね。さう時々再發するやうぢや。まあもとの病氣の繼續なんでせう」 この繼續といふ言葉を聞いた時、私は好い事を教へられたやうな氣がした。それから以後は、「どうかかうか生きてゐます」といふ挨拶をやめて、「病氣はまだ繼續中です」と改ためた。さうしてその繼續の意味を説明する場合には、必ず歐洲の大亂を引合に出した。 「私はちやうど獨乙が聯合軍と戰爭をしてゐるやうに、病氣と戰爭をしてゐるのです。今かうやつてあなたと對坐してゐられるのは、天下が太平になつたからではないので、塹壕の中に這入つて、病氣と睨めつくらをしてゐるからです。私の身體は亂世です。いつどんな變が起らないとも限りません」 或人は私の説明を聞いて、面白さうにははと笑つた。或人は默つてゐた。また或人は氣の毒らしい顏をした。 客の歸つたあとで私はまた考へた。——繼續中のものはおそらく私の病氣ばかりではないだらう。私の説明を聞いて、笑談だと思つて笑ふ人、解らないで默つてゐる人、同情の念に驅られて氣の毒らしい顏をする人、——すべてこれらの人の心の奧には、私の知らない、また自分達さへ氣のつかない、繼續中のものがいくらでも潛んでゐるのではなからうか。もし彼らの胸に響くやうな大きな音で、それが一度に破裂したら、彼らははたしてどう思ふだらう。彼らの記憶はその時もはや彼らに向つて何物をも語らないだらう。過去の自覺はとくに消えてしまつてゐるだらう。今と昔とまたその昔の間に何らの因果を認める事のできない彼らは、さういふ結果に陷つた時、何と自分を解釋して見る氣だらう。所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂彈を、思ひ思ひに抱きながら、一人殘らず、死といふ遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなからうか。ただどんなものを抱いてゐるのか、他も知らず自分も知らないので、仕合せなんだらう。 私は私の病氣が繼續であるといふ事に氣がついた時、歐洲の戰爭もおそらくいつの世からかの繼續だらうと考へた。けれども、それがどこからどう始まつて、どう曲折して行くかの問題になると全く無智識なので、繼續といふ言葉を解しない一般の人を、私はかへつて羨ましく思つてゐる。
by sato_ignis
| 2013-07-30 00:49
| 読書
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