
吉村昭 「海も暮れきる」
尾崎放哉 荻原井泉水輯 「
大空」
cf.
j-texts
「此頃、放哉、ウマイ煙草が命がけで呑みたい、紫の煙りがかぎたい、アゝあのよい匂ひ、乞食放哉に勿体ない事なれ共、実は此の頃、ヤハリ病気のセイでのどがいたくて、ウマイ物は一ツたべられないのです、ソレデ、勢(タバコの匂ひ)に殺到したワケに候……大至急、おねだり申します、アンタを代表者としてねだります、……夢に見る(よい匂ひ)……お願お願お願サヨナラ。」 小沢武二宛書簡
友を送りて雨風に追はれてもどる
井戸の暗さにわが顔を見出す
柘溜が口あけたたはけた恋だ
雨に降りつめられて暮るる外なし御堂
昼寝起きればつかれた物のかげばかり
蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る
いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘
夕べひよいと出た一本足の雀よ
たばこが消えて居る淋しさをなげすてる
蟻を殺す殺すつぎから出てくる
小さい時の自分が居った写真を突き出される
刈田で鳥の顔をまぢかに見た
寒さころがる落葉が水ぎはでとまった
鳩がなくま昼の屋根が重たい
自らをののしり尽きずあふむけに寝る
一人のたもとがマツチを持つて居た
馬の大きな足が折りたたまれた
打ちそこねた釘が首を曲げた
鳥がだまつてとんで行った
一人つめたくいつ迄薮蚊出る事か
昼ふかぶか木魚ふいてやるはげてゐる
心をまとめる鉛筆とがらす
松かさつぶてとしてかろし
こんなよい月を一人で見て寝る
淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく
片目の人に見つめられて居た
紅葉あかるく手紙よむによし
傘にばりばり雨音さして逢ひに来た
あるものみな着てしまひ風邪ひいてゐる
吸取紙が字を吸ひとらぬやうになつた
波へ乳の辺まではいつて女よ
雪の戸ひそひそ叩いて這入つてしまつた
こんな大きな石塔の下で死んでゐる
鳩に豆やる児が鳩にうづめらる
ぽっかり鉢植の枯木がぬけた
天辺落とす一と葉にあたまを打たれた
なんにもない机の引き出しをあけて見る
花が咲いた顔のお湯からあがつてくる
道いつぱいになって来る牛と出逢った
一人分の米白々と洗ひあげたる
どんどん泣いてしまつた児の顔
釘箱の釘がみんな曲つて居る
淋しいからだから爪がのび出す
ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる
足のうら洗へば白くなる
わが顔があった小さい鏡買うてもどる
ここから浪音きこえぬほどの海の青さの
すさまじく蚊がなく夜の痩せたからだが一つ
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
投げ出されたやうな西瓜が太つて行く
おそい月が町からしめ出されてゐる
わが肩につかまつて居る人に眼がない
障子あけて置く海も暮れきる
淋しい寝る本がない
爪切つたゆびが十本ある
入れものが無い両手で受ける
咳をしても一人
くるりと剃ってしまつた寒ン空
松かさそつくり火になった
風吹きくたびれて居る青草
墓のうらに廻る
枯枝ほきほき折るによし
肉がやせて来る太い骨である
一つの湯呑を置いてむせてゐる
春の山のうしろから煙が出だした