茫々たる薄墨色の世界を、幾條の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行(ゆ)くわれを、われならぬ人の姿と思へば、詩にもなる、句にも咏まれる。有體なる己れを忘れ盡して純客觀に眼をつくる時、始めてわれは畫中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。只降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを氣に掛ける瞬間に、われは既に詩中の人にもあらず、畫裡の人にもあらず。依然として市井の一豎子に過ぎぬ。雲烟飛動の趣も眼に入(い)らぬ。落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。蕭々として獨り春山(しゆんざん)を行(ゆ)く吾の、いかに美しきかは猶更に解(かい)せぬ。初めは帽を傾けて歩行(あるい)た。後には唯足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行(あるい)た。雨は滿目の樹梢を搖(うご)かして四方より孤客(こかく)に逼る。非人情がちと強過ぎた樣だ。