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若者たちの 歌が聞こえるか? 光 求め高まる歌の声が 世に苦しみの炎 消えないが どんな闇夜も やがて朝が * 彼ら主の国で 自由に生きる 鋤や鍬を取り 剣を捨てる 鎖は切れて 皆 救われる 列に入れよ 我らの味方に 砦の向こうに 憧れの世界 皆 聞こえるか ドラムの響が 彼ら夢見た 明日が来るよ 列に入れよ 我らの味方に 砦の向こうに 憧れの世界 皆 聞こえるか ドラムの響が 彼ら夢見た 明日が来るよ 明日が cf. 2009-05-30 https://ignis.exblog.jp/11116013/ cf. 2009-05-30 https://ignis.exblog.jp/11116001/ ”高1の合唱コン(@虎ノ門ホール)で3年が赤旗ふって歌ってたなあ。 中学生あがりには衝撃的な感動だった。あれは平気だったんだろうか?” *初演 皆 聞こえるか 消えた歌声が
光求め這い上がる 人の歌 世に哀しみの炎 消えないが どんな闇夜も やがて朝が #
by sato_ignis
| 2026-03-24 00:11
| 音楽
長野縣松本深志高等學校校歌
一
蒼溟遠き波の涯 黑潮たぎる絕東に たてり大和の秋津洲 光榮の歷史は三千年 その麗しき名を負へる 蜻蛉男兒に榮あれ 二 時の流れは强うして この世の旅は長けれど 自治を生命の若人は 强き力に生きる哉 山河秀でしこの鄕に 礎固し我が母校 三 曉こめて鳴り出でし 時代の鐘を身にしめて 世の先驅者の名に恥ぢず 心を磨き身を鍛へ 移らふ星をかがなべて 守るも久し深志城 四 朝に仰ぐ槍嶽に 深き眞理を探りつつ 夕筑摩の野を行けば 胸に充ちくる想華あり 嗚呼學術の香に集ふ 契りも深き友九百 五 古城空しく苔古りて 濁世の波は高けれど 淸き心の一筋に 志あるますらをは 自治の大旗飜し 前途遙かに望む哉 大正十一年(明治三十五年) #
by sato_ignis
| 2026-03-23 23:33
| 音楽
茨城縣立土浦第一高等學校校歌
作詞:堀越晉 作曲:尾崎楠馬 一
沃野一望數百里 關八州の重鎭とて そそり立ちたり筑波山 空の碧をさながらに 湛へて寄する漣波は 終古渝らぬ霞浦の水 二 春の彌生は櫻川 其の源の香を載せて 流に浮ぶ花筏 蘆の枯葉に秋立てば 渡る雁聲冴えて 湖心に澄むや月の影 三 此の山水の美を享けて 我に寬雅の度量あり 此の秀麗の氣を享けて 我に至誠の精神あり 東國男兒の血を享けて 我に武勇の氣魄あり 四 筑波の山のいや高く 霞ヶ浦のいや廣く 嗚呼櫻水の旗立てて 我が校風を輝かせ 龜城一千の健男兒 龜城一千の健男兒 明治四十四年 #
by sato_ignis
| 2026-03-23 23:15
| 音楽
厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、わたしは帰った。
もう真冬の候であった。そのうえ故郷へ近づくにつれて、空模様は怪しくなり、冷たい風がヒューヒュー音をたてて、船の中まで吹き込んできた。苫のすきまから外をうかがうと、鉛色の空の下、わびしい村々が、いささかの活気もなく、あちこちに横たわっていた。覚えず寂寥の感が胸にこみあげた。 ああ、これが二十年来、片時も忘れることのなかった故郷であろうか。 わたしの覚えている故郷は、まるでこんなふうではなかった。わたしの故郷は、もっとずっとよかった。その美しさを思い浮かべ、その長所を言葉に表そうとすると、しかし、その影はかき消され、言葉は失われてしまう。やはりこんなふうだったかもしれないという気がしてくる。そこでわたしは、こう自分に言い聞かせた。もともと故郷はこんなふうなのだ──進歩もないかわりに、わたしが感じるような寂寥もありはしない。そう感じるのは、自分の心境が変わっただけだ。なぜなら、今度の帰郷は決して楽しいものではないのだから。 今度は、故郷に別れを告げに来たのである。わたしたちが長いこと一族で住んでいた古い家は、今はもう他人の持ち物になってしまった。明け渡しの期限は今年いっぱいである。どうしても旧暦の正月の前に、住み慣れた古い家に別れ、なじみ深い故郷をあとにして、わたしが今暮らしを立てている異郷の地へ引っ越さねばならない。 明くる日の朝早く、わたしはわが家の表門に立った。屋根には一面に枯れ草のやれ茎が、折からの風になびいて、この古い家が持ち主を変えるほかなかった理由を説き明かし顔である。一緒に住んでいた親戚たちは、もう引っ越してしまったあとらしく、ひっそり閑としている。自宅の庭先まで来てみると、母はもう迎えに出ていた。あとから八歳になる甥の宏児もとび出した。 母は機嫌よかったが、さすがにやるせない表情は隠しきれなかった。わたしを座らせ、休ませ、茶をついでくれなどして、すぐ引っ越しの話はもち出さない。宏児は、わたしとは初対面なので、離れた所に立って、じっとわたしの方を見つめていた。 だが、とうとう引っ越しの話になった。わたしは、あちらの家はもう借りてあること、家具も少しは買ったこと、あとは家にある道具類をみんな売り払って、その金で買いたせばよいこと、などを話した。母もそれに賛成した。そして、荷造りもほぼ終わったこと、かさばる道具類は半分ほど処分したが、よい値にならなかったことなどを話した。 「一、二日休んだら、親戚回りをしてね、そのうえでたつとしよう。」と母は言った。 「ええ。」 「それから、閏土ね。あれが、いつも家へ来るたびに、おまえのうわさをしては、しきりに会いたがっていましたよ。おまえが着くおよその日取りは知らせておいたから、いまに来るかもしれない。」 この時突然、わたしの脳裏に不思議な画面が繰り広げられた──紺碧の空に金色の丸い月がかかっている。その下は海辺の砂地で、見渡す限り緑の西瓜が植わっている。そのまん中に十一、二歳の少年が、銀の首輪をつるし、鉄の刺叉を手にして立っている。そして一匹の「チャー」を目がけて、ヤッとばかり突く。すると「チャー」は、ひらりと身をかわして、彼のまたをくぐって逃げてしまう。 この少年が閏土である。彼と知り合った時、わたしもまだ十歳そこそこだった。もう三十年近い昔のことである。そのころは、父もまだ生きていたし、家の暮らし向きも楽で、わたしは坊ちゃんでいられた。ちょうどその年は、わが家が大祭の当番にあたっていた。この祭りの当番というのが、三十何年めにただ一回順番が回ってくるとかで、ごく大切な行事だった。正月に、祖先の像を祭るのである。さまざまの供物をささげ、祭器もよく吟味するし、参詣の人も多かったので、祭器をとられぬように番をする必要があった。わたしの家には「忙月」が一人いるだけである。(わたしの郷里では、雇い人は三種類ある。年間通して決まった家で働くのが「長年」、日決めで働くのが「短工」、自分でも耕作するかたわら、年末や節季や年貢集めの時などに、決まった家へ来て働くのが「忙月」と呼ばれた。)一人では手が足りぬので、彼は自分の息子の閏土に祭器の番をさせたいが、とわたしの父に申し出た。 父はそれを許した。わたしもうれしかった。というのは、かねて閏土という名は耳にしていたし、同じ年ごろなこと、また閏月の生まれで、五行の土が欠けているので父親が閏土と名づけたことも承知していたから。彼はわなをかけて小鳥を捕るのがうまかった。 それからというもの、来る日も来る日も新年が待ち遠しかった。新年になれば閏土がやって来る。待ちに待った年末になり、ある日のこと、母がわたしに、閏土が来たと知らせてくれた。とんでいってみると、彼は台所にいた。つやのいい丸顔で、小さな毛織りの帽子をかぶり、キラキラ光る銀の首輪をはめていた。それは父親の溺愛ぶりを示すもので、どうか息子が死なないようにと神仏に願をかけて、その首輪でつなぎ止めてあるのだ。彼は人見知りだったが、わたしにだけは平気で、そばにだれもいないとよく口をきいた。半日もせずにわたしたちは仲よくなった。 その時何をしゃべったかは、覚えていない。ただ閏土が、城内へ来ていろいろ珍しいものを見たといって、はしゃいでいたことだけは記憶に残っている。 明くる日、鳥を捕ってくれと頼むと、彼は、 「だめだよ。大雪が降ってからでなきゃ。おいらとこ、砂地に雪が降るだろ。そうしたら雪をかいて、少し空き地をこしらえるんだ。それから、大きなかごを持ってきて、短いつっかえ棒をかって、くずもみをまくんだ。そうすると、小鳥が来て食うから、その時遠くの方から、棒に結わえてある縄を引っぱるんだ。そうすると、みんなかごから逃げられないんだ。なんだっているぜ。稲鶏だの、角鶏だの、鳩だの、藍背だの……。」 それからは雪の降るのが待ち遠しくなった。 閏土はまた言うのだ。 「今は寒いけどな、夏になったら、おいらとこへ来るといいや。おいら、昼間は海へ貝殻拾いに行くんだ。赤いのも、青いのも、なんでもあるよ。『鬼おどし』もあるし、『観音様の手』もあるよ。晩には父ちゃんと西瓜の番に行くのさ。おまえも来いよ。」 「どろぼうの番?」 「そうじゃない。通りがかりの人が、のどが渇いて西瓜を取って食ったって、そんなの、おいらとこじゃどろぼうなんて思やしない。番するのは、あなぐまや、はりねずみや、チャーさ。月のある晩に、いいかい、ガリガリって音がしたら、チャーが西瓜をかじってるんだ。そうしたら手に刺叉を持って、忍び寄って……。」 その時わたしはその「チャー」というのがどんなものか、見当もつかなかった──今でも見当はつかない──が、ただなんとなく、小犬のような、そして獰猛な動物だという感じがした。 「かみつかない?」「刺叉があるじゃないか。忍び寄って、チャーを見つけたら突くのさ。あんちくしょう、りこうだから、こっちへ走ってくるよ。そうしてまたをくぐって逃げてしまうよ。なにしろ毛が油みたいにすべっこくて……。」 こんなにたくさん珍しいことがあろうなど、それまでわたしは思ってもみなかった。海には、そのような五色の貝殻があるものなのか。西瓜には、こんな危険な経歴があるものなのか。わたしは西瓜といえば、果物屋に売っているものとばかり思っていた。 「おいらとこの砂地では、高潮の時分になると『跳ね魚』がいっぱい跳ねるよ。みんなかえるみたいな足が二本あって……。」 ああ、閏土の心は神秘の宝庫で、わたしの遊び仲間とは大違いだ。こんなことはわたしの友達は何も知ってはいない。閏土が海辺にいる時、彼らはわたしと同様、高い塀に囲まれた中庭から四角な空を眺めているだけなのだ。 惜しくも正月は過ぎて、閏土は家へ帰らねばならなかった。別れがつらくて、わたしは声をあげて泣いた。閏土も台所の隅に隠れて、嫌がって泣いていたが、とうとう父親に連れてゆかれた。そのあと、彼は父親にことづけて、貝殻を一包みと、美しい鳥の羽を何本か届けてくれた。わたしも一、二度何か贈り物をしたが、それきり顔を合わす機会はなかった。 今、母の口から彼の名が出たので、この子供のころの思い出が、電光のように一挙によみがえり、わたしはやっと美しい故郷を見た思いがした。わたしはすぐこう答えた。 「そりゃいいな。で──今、どんな? ……。」 「どんなって……やっぱり、楽ではないようだが……。」そう答えて母は、戸外へ目をやった。 「あの連中、また来ている。道具を買うという口実で、その辺にあるものを勝手に持っていくのさ。ちょっと見てくるからね。」 母は立ち上がって出ていった。外では、数人の女の声がしていた。わたしは宏児をこちらへ呼んで、話し相手になってやった。字は書ける? よそへ行くの、うれしい? などなど。 「汽車に乗ってゆくの?」 「汽車に乗ってゆくんだよ。」 「お船は?」 「初めに、お船に乗って……。」 「まあまあ、こんなになって、ひげをこんなに生やして。」不意にかん高い声が響いた。 びっくりして頭を上げてみると、わたしの前には、ほお骨の出た、唇の薄い、五十がらみの女が立っていた。両手を腰にあてがい、スカートをはかないズボン姿で足を開いて立ったところは、まるで製図用の脚の細いコンパスそっくりだった。 わたしはドキンとした。 「忘れたかね? よくだっこしてあげたものだが。」 ますますドキンとした。幸い、母が現れて口添えしてくれた。 「長いこと家にいなかったから、見忘れてしまってね。おまえ、覚えているだろ。」 とわたしに向かって、「ほら、筋向かいの楊おばさん……豆腐屋の。」 そうそう、思い出した。そういえば子供のころ、筋向かいの豆腐屋に、楊おばさんという人が一日じゅう座っていて、「豆腐屋小町」と呼ばれていたっけ。しかし、その人なら白粉を塗っていたし、ほお骨もこんなに出ていないし、唇もこんなに薄くはなかったはずだ。それに一日じゅう座っていたのだから、こんなコンパスのような姿勢は、見ようにも見られなかった。そのころうわさでは、彼女のおかげで豆腐屋は商売繁盛だとされた。たぶん年齢のせいだろうか、わたしはそういうことにさっぱり関心がなかった。そのため見忘れてしまったのである。ところがコンパスのほうでは、それがいかにも不服らしく、さげすむような表情を見せた。まるでフランス人のくせにナポレオンを知らず、アメリカ人のくせにワシントンを知らぬのをあざけるといった調子で、冷笑を浮かべながら、 「忘れたのかい? なにしろ身分のあるおかたは目が上を向いているからね……。」 「そんなわけじゃないよ……ぼくは……。」わたしはどぎまぎして、立ち上がった。 「それならね、お聞きなさいよ、迅ちゃん。あんた、金持ちになったんでしょ。持ち運びだって、重くて不便ですよ。こんなガラクタ道具、じゃまだから、あたしにくれてしまいなさいよ。あたしたち貧乏人には、けっこう役に立ちますからね。」 「ぼくは金持ちじゃないよ。これを売って、その金で……。」 「おやおや、まあまあ、知事様になっても金持ちじゃない? 現にお妾が三人もいて、お出ましは八人かきのかごで、それでも金持ちじゃない? フン、だまそうたって、そうはいきませんよ。」 返事のしようがないので、わたしは口を閉じたまま立っていた。 「ああ、ああ、金がたまれば財布のひもを締める。財布のひもを締めるからまたたまる……。」コンパスは、ふくれっつらで背を向けると、ぶつぶつ言いながら、ゆっくりした足どりで出ていった。行きがけの駄賃に母の手袋をズボンの下へねじ込んで。 そのあと、近所にいる親戚が何人も訪ねてきた。その応対に追われながら、暇をみて荷ごしらえをした。そんなことで四、五日つぶれた。 ある寒い日の午後、わたしは食後の茶でくつろいでいた。表に人の気配がしたので、振り向いてみた。思わずアッと声が出かかった。急いで立ち上がって迎えた。 来た客は閏土である。ひと目で閏土とわかったものの、その閏土は、わたしの記憶にある閏土とは似もつかなかった。背丈は倍ほどになり、昔のつやのいい丸顔は、今では黄ばんだ色に変わり、しかも深いしわがたたまれていた。目も、彼の父親がそうであったように、周りが赤くはれている。わたしは知っている。海辺で耕作する者は、一日じゅう潮風に吹かれるせいで、よくこうなる。頭には古ぼけた毛織りの帽子、身には薄手の綿入れ一枚、全身ぶるぶる震えている。紙包みと長いきせるを手に提げている。その手も、わたしの記憶にある血色のいい、まるまるした手ではなく、太い、節くれだった、しかもひび割れた、松の幹のような手である。 わたしは感激で胸がいっぱいになり、しかしどう口をきいたものやら思案がつかぬままに、ひと言、 「ああ、閏ちゃん──よく来たね……。」 続いて言いたいことが、あとからあとから、数珠つなぎになって出かかった。角鶏、跳ね魚、貝殻、チャー……だがそれらは、何かでせき止められたように、頭の中を駆けめぐるだけで、口からは出なかった。 彼は突っ立ったままだった。喜びと寂しさの色が顔に現れた。唇が動いたが、声にはならなかった。最後に、うやうやしい態度に変わって、はっきりこう言った。 「だんな様! ……。」 わたしは身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた。わたしは口がきけなかった。 彼は後ろを向いて、「水生、だんな様におじぎしな。」と言って、彼の背に隠れていた子供を前へ出した。これぞまさしく三十年前の閏土であった。いくらかやせて、顔色が悪く、銀の首輪もしていない違いはあるけれども。「これが五番めの子でございます。世間へ出さぬものですから、おどおどしておりまして……。」 母と宏児が二階から降りてきた。話し声を聞きつけたのだろう。 「ご隠居様、お手紙は早くにいただきました。全く、うれしくてたまりませんでした、だんな様がお帰りになると聞きまして……。」と閏土は言った。 「まあ、なんだってそんな、他人行儀にするんだね。おまえたち、昔は兄弟の仲じゃないか。昔のように、迅ちゃん、でいいんだよ。」と母は、うれしそうに言った。 「めっそうな、ご隠居様、なんとも……とんでもないことでございます。あのころは子供で、なんのわきまえもなく……。」そしてまたも水生を前に出しておじぎさせようとしたが、子供ははにかんで、父親の背にしがみついたままだった。 「これが水生? 五番めだね。知らない人ばかりだから、はにかむのも無理ない。宏児や、あちらで一緒に遊んでおやり。」と母は言った。 言われて宏児は、水生を誘い、水生もうれしそうに、そろって出ていった。母は閏土に席を勧めた。彼はしばらくためらったあと、ようやく腰を下ろした。長ぎせるをテーブルに立てかけて、紙包みを差し出した。 「冬場は、ろくなものがございません。少しばかり、青豆の干したのですが、自分とこのですから、どうかだんな様に……。」 わたしは、暮らし向きについて尋ねた。彼は首を振るばかりだった。 「とてもとても。今では六番めの子も役に立ちますが、それでも追っつけません……世間は物騒だし……どっちを向いても金は取られほうだい、きまりもなにも……作柄もよくございません。作った物を売りに行けば、何度も税金を取られて、元は切れるし、そうかといって売らなければ、腐らせるばかりで……。」 首を振りどおしである。顔にはたくさんのしわがたたまれているが、まるで石像のように、そのしわは少しも動かなかった。苦しみを感じはしても、それを言い表すすべがないように、しばらく沈黙し、それからきせるを取り上げて、黙々とたばこをふかした。 母が都合をきくと、家に用が多いから、明日は帰らねばならぬという。それに昼飯もまだと言うので、自分で台所へ行って、飯をいためて食べるように勧めた。 彼が出ていったあと、母とわたしとは彼の境遇を思ってため息をついた。子だくさん、凶作、重い税金、兵隊、匪賊、役人、地主、みんな寄ってたかって彼をいじめて、デクノボーみたいな人間にしてしまったのだ。母は、持っていかぬ品物はみんなくれてやろう、好きなように選ばせよう、とわたしに言った。 午後、彼は品物を選び出した。長テーブル二個、いす四脚、香炉と燭台一組み、大秤一本。そのほかわら灰もみんな欲しいと言った。(わたしたちのところでは、炊事の時わらを燃す。その灰は砂地の肥料になる。)わたしたちが旅立つ時来て船で運ぶ、と言った。 夜はまた世間話をした。とりとめのない話ばかりだった。明くる日の朝、彼は水生を連れて帰っていった。 それからまた九日して、わたしたちの旅立ちの日になった。閏土は朝から来ていた。水生は連れずに、五歳になる女の子に船の番をさせていた。それぞれに一日じゅう忙しくて、もう話をする暇はなかった。客も多かった。見送りに来る者、品物を取りに来る者、見送りがてら品物を取りに来る者。夕方になって、わたしたちが船に乗り込むころには、この古い家にあった大小さまざまのガラクタ類は、すっかり片づいていた。 船はひたすら前進した。両岸の緑の山々は、たそがれの中で薄墨色に変わり、次次と船尾に消えた。 わたしと一緒に窓辺にもたれて、暮れてゆく外の景色を眺めていた宏児が、ふと問いかけた。 「おじさん、ぼくたち、いつ帰ってくるの?」 「帰ってくる? どうしてまた、行きもしないうちに、帰るなんて考えたんだい?」 「だって、水生がぼくに、家へ遊びに来いって。」 大きな黒い目をみはって、彼はじっと考えこんでいた。 わたしも、わたしの母も、はっと胸をつかれた。そして話がまた閏土のことに戻った。母はこう語った。例の豆腐屋小町の楊おばさんは、わたしの家で片づけが始まってから、毎日必ずやってきたが、おととい、灰の山からわんや皿を十個あまり掘り出した。あれこれ議論の末、それは閏土が埋めておいたにちがいない、灰を運ぶ時、一緒に持ち帰れるから、という結論になった。楊おばさんは、この発見を手柄顔に、「犬じらし」(これはわたしたちのところで鶏を飼うのに使う。木の板にさくを取り付けた道具で、中に食べ物を入れておくと、鶏は首を伸ばしてついばむことができるが、犬にはできないので、見てじれるだけである。)をつかんで飛ぶように走り去った。てん足用の底の高い靴で、よくもと思うほど速かったそうだ。 古い家はますます遠くなり、故郷の山や水もますます遠くなる。だが名残惜しい気はしない。自分の周りに目に見えぬ高い壁があって、その中に自分だけ取り残されたように、気がめいるだけである。西瓜畑の銀の首輪の小英雄の面影は、もとは鮮明このうえなかったのが、今では急にぼんやりしてしまった。これもたまらなく悲しい。 母と宏児とは寝入った。 わたしも横になって、船の底に水のぶつかる音を聞きながら、今、自分は、自分の道を歩いているとわかった。思えばわたしと閏土との距離は全く遠くなったが、若い世代は今でも心が通い合い、現に宏児は水生のことを慕っている。せめて彼らだけは、わたしと違って、互いに隔絶することのないように……とはいっても、彼らが一つ心でいたいがために、わたしのように、無駄の積み重ねで魂をすり減らす生活をともにすることは願わない。また閏土のように、打ちひしがれて心がまひする生活をともにすることも願わない。また他の人のように、やけを起こしてのほうずに走る生活をともにすることも願わない。希望をいえば、彼らは新しい生活をもたなくてはならない。わたしたちの経験しなかった新しい生活を。 希望という考えが浮かんだので、わたしはどきっとした。たしか閏土が香炉と燭台を所望した時、わたしはあい変わらずの偶像崇拝だな、いつになったら忘れるつもりかと、心ひそかに彼のことを笑ったものだが、今わたしのいう希望も、やはり手製の偶像にすぎぬのではないか。ただ彼の望むものはすぐ手に入り、わたしの望むものは手に入りにくいだけだ。 まどろみかけたわたしの目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月がかかっている。思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 #
by sato_ignis
| 2026-03-23 23:05
| 読書
「故鄉」魯迅
我冒了嚴寒,回到相隔二千餘里,別了二十餘年的故鄕去。 時候既然是深冬;漸近故鄕時,天氣又陰晦了,冷風吹進船艙中,嗚嗚的響,從篷隙向外一望,蒼黃的天底下,遠近橫着幾個蕭索的荒村,沒有一些活氣。我的心禁不住悲涼起來了。 阿!這不是我二十年來時時記得的故鄕? 我所記得的故鄕全不如此。我的故鄕好得多了。但要我記起他的美麗,說出他的佳處來,卻又沒有影像,沒有言辭了。彷彿也就如此。於是我自己解釋說:故鄕本也如此,——雖然沒有進步,也未必有如我所感的悲涼,這只是我自己心情的改變罷了,因爲我這次回鄕,本沒有什麽好心緖。 我這次是專爲了別他而來的。我們多年聚族而居的老屋,已經公同賣給別姓了,交屋的期限,只在本年,所以必須趕在正月初一以前,永別了熟識的老屋,而且遠離了熟識的故鄕,搬家到我在謀食的異地去。 第二日淸早晨我到了我家的門口了。瓦楞上許多枯草的斷莖當風抖着,正在說明這老屋難免易主的原因。幾房的本家大約已經搬走了,所以很寂靜。我到了自家的房外,我的母親早已迎着出來了,接着便飛出了八歲的姪兒宏兒。 我的母親很高興,但也藏着許多淒涼的神情,教我坐下,歇息,喝茶,且不談搬家的事。宏兒沒有見過我,遠遠的對面站着只是看。 但我們終於談到搬家的事。我說外間的寓所已經租定了,又買了幾件家具,此外須將家裏所有的木器賣去,再去增添。母親也說好,而且行李也略已齊集,木器不便搬運的,也小半賣去了,只是收不起錢來。 『你休息一兩天,去拜望親戚本家一回,我們便可以走了。』母親說。『是的。』 『還有閏土,他每到我家來時,總問起你,很想見你一回面。我已經將你到家的大約日期通知他,他也許就要來了。』 這時候,我的腦裏忽然閃出一幅神異的圖畫來:深藍的天空中掛着一輪金黃的圓月,下面是海邊的沙地,都種着一望無際的碧綠的西瓜,其間有一個十一二歲的少年,項帶銀圈,手揑一柄鋼叉,向一匹猹儘力的刺去,那猹卻將身一扭,反從他的胯下逃走了。 這少年便是閏土。我認識他時,也不過十多歲,離現在將有三十年了;那時我的父親還在世,家景也好,我正是一個少爺。那一年,我家是一件大祭祀的値年。這祭祀,說是三十多年纔能輪到一回,所以很鄭重;正月裏供祖像,供品很多,祭器很講究,拜的人也很多,祭器也很要防偸去。我家只有一個忙月(我們這里給人做工的分三種:整年給一定人家做工的叫長年;按日給人做工的叫短工;自己也種地,只在過年過節以及收租時候來給一定的人家做工的稱忙月),忙不過來,他便對父親說,可以叫他的兒子閏土來管祭器的。我的父親允許了;我也很高興,因爲我早聽到閏土這名字,而且知道他和我彷彿年紀,閏月生的,五行缺土,所以他的父親叫他閏土。他是能裝弶捉小鳥雀的。 我於是日日盼望新年,新年到,閏土也就到了。好容易到了年末,有一日,母親告訴我,閏土來了,我便飛跑的去看。他正在廚房裏,紫色的圓臉,頭戴一頂小氈帽,頸上套一個明晃晃的銀項圈,這可見他的父親十分愛他,怕他死去,所以在神佛面前許下願心,用圈子將他套住了。他見人很怕羞,只是不怕我,沒有旁人的時候,便和我說話,於是不到半日,我們便熟識了。 我們那時候不知道談些什麽,只記得閏土很高興,說是上城之後,見了許多沒有見過的東西。 第二日,我便要他捕鳥。他說: 『這不能。須大雪下了纔好。我們沙地上,下了雪,我掃出一塊空地來,用短棒支起一個大竹匾,撒下粃穀,看鳥雀來喫時,我遠遠地將縛在棒上的繩子只一拉,那鳥雀就罩在竹匾下了。什麽都有:稻雞、角雞、鵓鴣、藍背……』我於是又很盼望下雪。 閏土又對我說: 『現在太冷,你夏天到我們這里來。我們日裏到海邊檢貝殼去,紅的綠的都有,鬼見怕也有,觀音手也有,晚上我和爹管西瓜去,你也去。』 『管賊麽?』 『不是。走路的人口渴了摘一個瓜喫,我們這里是不算偸的。要管的是獾豬、刺蝟、猹。月亮地下,你聽,啦啦的響了,猹在咬瓜了。你便揑了胡叉,輕輕地走去……』 我那時並不知道這所謂猹的是怎麽一件東西——便是現在也沒有知道——只是無端的覺得狀如小狗而很凶猛。 『他不咬人麽?』 『有胡叉呢。走到了,看見猹了,你便刺。這畜生很伶俐,倒向你奔來,反從胯下竄了。他的皮毛是油一般的滑。……』 我素不知道天下有這許多新鮮事:海邊有如許五色的貝殼;西瓜有這樣危險的經歷,我先前單知道他在水果店裏出賣罷了。 『我們沙地裏,潮汛要來的時候,就有許多跳魚兒只是跳,都有靑蛙似的兩個脚。……』 阿!閏土的心裏有無窮無盡的希奇的事,都是我往常的朋友所不知道的。他們不知道一些事,閏土在海邊時,他們都和我一樣只看見院子裏高牆上的四角的天空。 可惜正月過去了,閏土須回家裏去,我急得大哭,他也躱到廚房裏,哭着不肯出門,但終於被他父親帶走了。他後來還託他的父親帶給我一包貝殼和幾枝很好看的鳥毛,我也曾送他一兩次東西,但從此沒有再見面。 現在我的母親提起了他,我這兒時的記憶,忽而全都閃電似的蘇生過來,似乎看到了我的美麗的故鄕了。我應聲說: 『這好極!他,——怎樣?……』 『他?……他景況也很不如意……』母親說着,便向房外看,『這些人又來了。說是買木器,順手也就隨便拿走的,我得去看看。』母親站起身,出去了。門外有幾個女人的聲音,我便招宏兒走近面前,和他閒話:問他可會寫字,可願意出門。 『我們坐火車去麽?』 『我們坐火車去。』 『船呢?』 『先坐船,……』 『哈!這模樣了!鬍子這麽長了!』一種尖利的怪聲突然大叫起來。 我喫了一嚇,趕忙擡起頭,卻見一個凸顴骨,薄嘴唇,五十歲上下的女人站在我面前,兩手搭在髀間,沒有繫裙,張着兩脚,正像一個畫圖儀器裏細脚伶仃的圓規。 我愕然了。 『不認識了麽?我還抱你咧!』 我愈加愕然了。幸而我的母親也就進來,從旁說: 『他多年出門,統忘卻了。你該記得罷,』便向着我說,『這是斜對門的楊二嫂,……開豆腐店的。』 哦,我記得了。我孩子時候,在斜對門的豆腐店裏確乎終日坐着一個楊二嫂,人都叫伊『豆腐西施』。但是擦着白粉,顴骨沒有這麽高,嘴脣也沒有這麽薄。而且終日坐着,我也從沒有見過這圓規式的姿勢。那時人說:因爲伊,這豆腐店的買賣非常好。但這大約因爲年齡的關係,我卻並未蒙着一毫感化,所以竟完全忘卻了。然而圓規很不平,顯出鄙夷的神色,彷彿嗤笑法國人不知道拿破崙,美國人不知道華盛頓似的,冷笑說: 『忘了?這眞是貴人眼高。……』 『那有這事……我……』我惶恐着,站起來說。 『那麽,我對你說。迅哥兒,你闊了,搬動又笨重,你還要什麽這些破爛木器,讓我拿去罷。我們小戶人家,用得着。』 『我並沒有闊哩。我須賣了這些,再去……』 『阿呀呀,你放了道台了,還說不闊?你現在有三房姨太太;出門便是八擡的大轎,還說不闊?嚇,什麽都瞞不過我。』我知道無話可說了,便閉了口,默默的站着。 『阿呀阿呀,眞是愈有錢,便愈是一毫不肯放鬆,愈是一毫不肯放鬆,便愈有錢……』圓規一面憤憤的回轉身,一面絮絮的說,慢慢向外走,順便將我母親的一副手套塞在褲腰裏,出去了。 此後又有近處的本家和親戚來訪問我。我一面應酬,偸空便收拾些行李,這樣的過了三四天。 一日是天氣很冷的午後,我喫過午飯,坐着喝茶,覺得外面有人進來了,便回頭去看。我看時,不由的非常出驚,慌忙站起身,迎着走去。 這來的便是閏土。雖然我一見便知道是閏土,但又不是我這記憶上的閏土了。他身材增加了一倍;先前的紫色的圓臉,已經變作灰黃,而且加上了很深的皺紋;眼睛也像他父親一樣,周圍都腫得通紅,這我知道,在海邊種地的人,終日吹着海風,大抵是這樣的。他頭上是一頂破氈帽,身上只一件極薄的棉衣,渾身瑟索着;手裏提着一個紙包和一枝長煙管,那手也不是我所記得的紅活圓實的手,卻又粗又笨而且開裂,像是松樹皮了。我這時很興奮,但不知道怎麽說纔好,只是說: 『阿!閏土哥,——你來了?……』 我接着便有許多話,想要連珠一般湧出:角雞、跳魚兒、貝殼、猹,……但又總覺得被什麽擋着似的。單在腦裏面回旋,吐不出口外去。 他站住了,臉上現出歡喜和淒涼的神情;動着嘴脣,卻沒有作聲。他的態度終於恭敬起來了,分明的叫道: 『老爺!……』 我似乎打了一個寒噤;我就知道,我們之間已經隔了一層可悲的厚障壁了。我也說不出話。 他回過頭去說:『水生,給老爺磕頭。』便拖出躱在背後的孩子來,這正是一個二十年前的閏土,只是黃瘦些,頸子上沒有銀圈罷了。『這是第五個孩子,沒有見過世面,躱躱閃閃。……』 母親和宏兒下樓來了,他們大約也聽到了聲音。『老太太。信是早收到了。我實在喜歡的了不得,知道老爺回來……』閏土說。 『阿,你怎的這樣客氣起來。你們先前不是哥弟稱呼麽?還是照舊:迅哥兒。』母親高興的說。 『阿呀,老太太眞是……這成什麽規矩。那時是孩子,不懂事……』閏土說着,又叫水生上來打拱,那孩子卻害羞,緊緊的只貼在他背後。 『他就是水生?第五個?都是生人,怕生也難怪的;還是宏兒和他去走走。』母親說。 宏兒聽得這話,便來招水生,水生卻鬆鬆爽爽同他一路出去了。母親叫閏土坐,他遲疑了一回,終於就了坐,將長煙管靠在桌旁,遞過紙包來,說: 『冬天沒有什麽東西了。這一點乾靑豆倒是自家曬在那里的,請老爺……』 我問問他的景況。他只是搖頭。 『非常難。第六個孩子也會幫忙了,卻總是喫不够……又不太平……什麽地方都要錢,沒有定規……收成又壞。種出東西來,挑去賣,總要捐幾回錢,折了本;不去賣,又只能爛掉。……』他只是搖頭;臉上雖然刻着許多皺紋,卻全然不動,彷彿石像一般。他大約只是覺得苦,卻又形容不出,沈默了片時,便拿起煙管來默默的吸煙了。 母親問他,知道他的家裏事務忙,明天便得回去;又沒有喫過午飯,便叫他自己到廚下炒飯喫去。 他出去了;母親和我都歎息他的景況:多子、饑荒、苛稅、兵、匪、官、紳,都苦得他像一個木偶人了。母親對我說,凡是不必搬走的東西,儘可以送他,可以聽他自己去揀擇。 下午,他揀好了幾件東西:兩條長桌,四個椅子,一副香爐和燭臺,一桿擡秤。他又要所有的草灰(我們這裏煑飯是燒稻草的,那灰,可以做沙地的肥料),待我們啓程的時候,他用船來載去。 夜間,我們又談些閒天,都是無關緊要的話;第二天早晨,他就領了水生回去了。 又過了九日,是我們啓程的日期。閏土早晨便到了,水生沒有同來,卻只帶着一個五歲的女兒管船隻。我們終日很忙碌,再沒有談天的工夫。來客也不少,有送行的,有拿東西的,有送行兼拿東西的。待到傍晚我們上船的時候,這老屋裏的所有破舊大小粗細東西,已經一掃而空了。 我們的船向前走,兩岸的靑山在黃昏中,都裝成了深黛顏色,連着退向船後梢去。 宏兒和我靠着船窗,同看外面模糊的風景,他忽然問道: 『大伯!我們甚麽時候回來?』 『回來?你怎麽還沒有走就想回來了。』 『可是,水生約我到他家玩去咧……』他睜着大的黑眼睛,癡癡的想。 我和母親也都有些惘然,於是又提起閏土來。母親說:那豆腐西施的楊二嫂,自從我家收拾行李以來,本是每日必到的,前天伊在灰堆裏,掏出十多個碗碟來,議論之後,便定說是閏土埋着的,他可以在運灰的時候,一齊搬回家裏去;楊二嫂發見了這件事,自己很以爲功,便拿了那狗氣殺(這是我們這裏養雞的器具,木盤上面有着柵欄,內盛食料,雞可以伸進頸子去啄,狗卻不能,只能看着氣死),飛也似的跑了,虧伊裝着這麽高底的小脚,竟跑得這樣快。 老屋離我愈遠了;故鄕的山水也都漸漸遠離了我,但我卻並不感到怎樣的留戀。我只覺得我四面有看不見的高牆,將我隔成孤身,使我非常氣悶;那西瓜地上的銀項圈的小英雄的影象,我本來十分淸楚,現在卻忽地模糊了,又使我非常的悲哀。 母親和宏兒都睡着了。 我躺着,聽船底潺潺的水聲,知道我在走我的路,我想:我竟與閏土隔絕到這地步了,但我們的後輩還是一氣,宏兒不是正在想念水生麽。我希望他們不再像我,又大家隔膜起來……然而我又不願意他們因爲要一氣,都如我的辛苦展轉而生活,也不願意他們都如閏土的辛苦麻木而生活,也不願意都如別人的辛苦恣睢而生活。他們應該有新的生活,爲我們所未經生活過的。 我想到希望,忽然害怕起來了。閏土要香爐和燭臺的時候,我還暗地裏笑他,以爲他總是崇拜偶像,什麽時候都不忘卻。現在我所謂希望,不也是我自己手製的偶像麽?只是他的願望切近,我的願望茫遠罷了。 我在朦朧中,眼前展開一片海邊碧綠的沙地來,上面深藍的天空中掛着一輪金黃的圓月。我想:希望是本無所謂有,無所謂無的。這正如地上的路,其實地上本沒有路;走的人多了,也便成了路。 #
by sato_ignis
| 2026-03-23 23:01
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