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アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまひたい 夜が明ける日がのぼる 朝の光のその中で 冷たくなつたわたしを見つけて あの人は 涙を流してくれるでせうか アカシアの雨に泣いてる 切ない胸はわかるまい 思い出のペンダント 白い真珠のこの肌で 淋しく今日も暖めてゐるのに あの人は 冷たい瞳をして何処かへ消えた アカシアの雨がやむ時 青空さして鳩がとぶ むらさきの羽の色 それはベンチの片隅で 冷たくなつた私のぬけがら あの人を さがして遥かに飛び立つ影よ #
by sato_ignis
| 2019-09-03 01:56
| 音楽
私はめをとじている 暗闇のなかにたっている 私はめをとじている 心のめざめをまっている 私はめをとじている 風の祈りをきいている それでもっとめをとじてみる みえないものがみえてくる あなたと耳をすましている 時の流れをみおくっている いのちのひもをといてやる 心のめざめをまっている あなたと耳をすましている 虹の真下をくぐっている それでもっと耳をすましてみる もうきこえない何もきこえない あなたとめをとじている 空の高さへのぼっていく それでもっとめをとじてみる みえないものがみえてくる あなたと耳をすましている 川の流れにのっている それでもっと耳をすましてみる もうきこえない何もきこえない それでもっとめをとじてみる 心のめざめをまっている それでもっと耳をすましてみる もうきこえない何もきこえない #
by sato_ignis
| 2019-09-02 02:50
夕焼、小焼の、
あかとんぼ、
負はれて見たのは、 いつの日か。 山の畑の、 桑の實を、 小籠に、つんだは、 まぼろしか。 十五で、姐やは、 嫁にゆき、 お里の、たよりも、 たえはてた。 夕やけ、小やけの、 赤とんぼ。 とまってゐるよ、 竿の先。 童謠詩人叢書―3―三木露風著 大正十五年十一月『小鳥の友』新潮社 #
by sato_ignis
| 2019-09-01 03:53
| 音楽
夕焼、小焼の
あかとんぼ 負はれて見たのは いつの日か。 山の畑の 桑の實を 小籠に摘んだは まぼろしか。 十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた。 夕やけ小やけの 赤とんぼ とまってゐるよ 竿の先。 大正十年十二月『眞珠島』アルス
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by sato_ignis
| 2019-09-01 03:50
| 音楽
夕焼、小焼の、
山の空、 負はれて見たのは、 まぼろしか。 山の畑の、 桑の實を、 小籠につんだは、 いつの日か。 十五で、ねえやは、 嫁に行き、 お里のたよりも、 絶えはてた。 夕やけ、こやけの、 赤とんぼ。 とまってゐるよ、 竿の先。 大正十年八月『樫の實』 研秀社
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by sato_ignis
| 2019-09-01 03:46
| 音楽
港出たなら 鮪を追って
越える赤道 南方航路
おいらの船は 300とん 昔親父も 来て働いた 海はみどりの インド洋 アエンヤコラセ アエンヤコラセ 波が荒れよと かぶろとままよ 海の男は でっかい度胸 おいらの船は 300とん 白いペンキは はげてはいるが しけが来ようと へっちゃらさ アエンヤコラセ アエンヤコラセ 三日続きの 寝不足こらえ 汗にまみれて 引く鮪縄 おいらの船は 300とん 伸びたひげ面 さっぱりそって 明日は故郷の 港町 アエンヤコラセ アエンヤコラセ #
by sato_ignis
| 2019-08-20 04:10
| 音楽
嗚呼玉杯に花うけて 緑酒に月の影やどし 治安の夢に耽りたる 榮華の巷低く見て 向ヶ丘にそゝりたつ 五寮の健兒意氣高し 芙蓉の雪の精をとり 芳野の花の華を奪ひ 清き心の益良雄が 劍と筆とをとり持ちて 一たび起たば何事か 人生の偉業成らざらん 濁れる海に漂へる 我國民を救はんと 逆卷く浪をかきわけて 自治の大船勇ましく 尚武の風を帆にはらみ 船出せしより十二年 花咲き花はうつろひて 露おき露のひるがごと 星霜移り人は去り 梶とる舟師は變るとも 我のる船は常へに 理想の自治に進むなり 行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある 破邪の劍を拔き持ちて 舳に立ちて我呼べば 魑魅魍魎も影ひそめ 金波銀波の海靜か cf. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8272842
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by sato_ignis
| 2019-07-18 01:03
| 講義
妻をめとらば才たけて (つま)
顏うるはしく情ある 友をえらばば書を讀んで 六分の侠氣四分の熱 戀のいのちをたづぬれば 名を惜むかなをとこゆゑ 友のなさけをたづぬれば 義のあるところ火をも踏む くめやうま酒うたひめに をとめの知らぬ意氣地あり 簿記の筆とるわかものに (ぼき) まことのをのこ君を見る あゝわれコレツヂの奇才なく バイロン、ハイ子の熱なきも 石をいだきて野にうたふ 芭蕉のさびをよろこばず 人やわらはん業平が (なりひら) 小野の山ざと雪を分け 夢かと泣きて齒がみせし むかしを慕ふむらごころ 見よ西北にバルガンの (にしきた) それにも似たる國のさま あやふからずや雲裂けて 天火ひとたび降らん時 (てんくわ) 妻子をわすれ家をすて (つまこ) 義のため耻をしのぶとや 遠くのがれて腕を摩す ガリバルヂイや今いかん 玉をかざれる大官は (たいくわん) みな北道の訛音あり (ほくどう・なまり) 慷慨よく飮む三南の (かうがい・さんなん) 健兒は散じて影もなし (けんじ) 四たび玄海の浪をこえ 韓のみやこに來てみれば (から) 秋の日かなし王城や むかしにかはる雲の色 あゝわれ如何にふところの 劍は鳴をしのぶとも (なり) むせぶ涙を手にうけて かなしき歌の無からんや わが歌ごゑの高ければ 酒に狂ふと人は云へ われに過ぎたる希望をば (のぞみ) 君ならではた誰か知る 「あやまらずやは眞ごころを 君が詩いたくあらはなる むねんなるかな燃ゆる血の (も) 價すくなきすゑの世や おのづからなる天地を (あめつち) 戀ふるなさけは洩らすとも 人を罵り世をいかる はげしき歌を祕めよかし 口をひらけば嫉みあり 筆をにぎれば譏りあり 友を諫めに泣かせても 猶ゆくべきや絞首臺 (かうしゆだい) おなじ憂ひの世にすめば 千里のそらも一つ家 おのが袂と云ふなかれ やがて二人のなみだぞや」 (ふたり) はるばる寄せしますらをの うれしき文を袖にして (ふみ) けふ北漢の山のうへ 駒たてて見る日の出づる方 (かた) cf. 與謝野鐵幹著「鐵幹子」矢島誠進堂書店 明34.4 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/876407 cf. 2004-12-06 https://ignis.exblog.jp/1301274
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by sato_ignis
| 2019-07-17 03:13
| 講義
そんなふうにかんがえてはいけない
だれもかおのうしろはのぞかない きみのおもいすごしのそのあしが こころをふんでいただけさ そんなふうにかんがえてはいけない このよは いちびょうだってとまらない いきさきなんてわすれてしまおう ただきみとしりあえて よかった さあ もうだいじょうぶ きしゃのせんろをさがすんだ さあ もうだいじょうぶ せんろに みみをあてるんだ そんなふうにかんがえてはいけない だれにもきみのあしたはのぞけない てんごくは きみのまぢかに でもとびらをたたくには まだはやい さあ もうだいじょうぶ きしゃのせんろをさがすんだ さあ もうだいじょうぶ せんろに みみをあてるんだ さあ もうだいじょうぶ きしゃのせんろをさがすんだ さあ もうだいじょうぶ せんろに みみをあてるんだ さあ もうだいじょうぶ きしゃのせんろをさがすんだ さあ もうだいじょうぶ せんろに みみをあてるんだ ・・・・・・・・・・・ 今月来月再来月、あちらの県、こちらの市で講義、講演。 進路、キャリア、探求、道徳(道徳だけは恥ずかしい)、 お題目はマアなんでもよろしい、伝えたいコトはひとつ。
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by sato_ignis
| 2019-07-10 22:01
| 音楽
波に花散る北海を 思ひ出したらまた来てね 木彫りの小熊をともにして アリャ ご無事で内地へ戻りやんせ ハーナットナット たれに買はれて行くのやら おばここけしが片えくぼ 知らぬ他國でふるさとの アリャ 夢見て泣くだらう 明け暮れに ハーナットナット 連絡船のドラが鳴る 函館港は涙雨 逢ふが別れと知りながら アリャ なんでまた 鷗がなくのやら ハーナットナット 来年来るやら来ないやら 来てもまた逢ふやら 逢へぬやら わたしや深山の水車 アリャ 花咲く春まで くるくると ハーナットナット ////////////////////// ラッパ、ナット、道南、真室川。缶詰、女工。 #
by sato_ignis
| 2019-06-12 04:14
| 音楽
例えば「世界」という単語。そこから普通は、国際情勢とか諸外国のニュースとかいった人間社会の世界のことを考えるらしい。 ところで、わたしはいつもこの単語から、中学生のときに登った甲斐駒ヶ岳、その頂上の眺望に驚いて茫然としたときのことを思い出す。 わたしの視野、わたしの目玉は、それまでこんな広がりを入れたことはなかった。わたしは無限とか永遠といった言葉が見える物だとは想像できなかったと、そのとき思ったものだ。 七合の小屋に泊まって、まだ夜明けにならないうちに起こされたわたしは、眠気の覚めないぼんやりとした頭で頂上にたどり着いた。夏だというのになんと寒いことだろうとふるえている身には、御来光などどうでもいいような気分だった。わたしがおじさんとよんでいた引率者のI氏は、わたしの肩を強くたたいて「しゃんと目を覚ませ」としかった。 東の空がスミレ色に変わってきた。脚下一面、暗い雲海がだんだんわかってきた。空は刻々と微妙に変化し、スミレ色の上空に、とても、この世では二度と見られまいと思うような透明は薄いセルリアン・ブルーが現れた。じっと眺めていると、それはだんだんコバルトに染まっていく。遠い東天に懸かっていた三筋ほどの棚雲が、淡い緑から急速調で濃いオレンジに変化したと思っているうちに、一筋の黄金色のハープの弦が天心に矢になって走った。強いトランペットが耳元で鳴ったかと思った。わたしはいっぺんに眠気が飛び去って、この世界誕生の序曲の前に緊張して佇立した。光の矢は次々と天心を貫き、やがて正視できぬ輝きの中心がせり上がったその瞬間、世界はその光の矢に洗われて、それまでの姿を一変し、闇のエモーションはあとかたもなく消え去った。明るい。ただ明るい青い空気がこともなく天地に満ちて、遠い山並みの間に沈殿していた雲海は、次第に形を崩して刻々とぬぐわれていく。 頂上に立っていた人は十五、六人だったと思った。だれもかれも彫刻のように静止していて、ばんざいを叫ぶものは一人もいなかった。だれもかれも、その大きな感動に縛られていてただ沈黙するのみだった。 わたしは心の中でセカイという言葉を反すうしていた。何度もセカイセカイとくりかえしていた。どんな辞書にもなかった理解がそこにあった。生まれて初めて高い山に登って、こんなすばらしい光景に巡り会った自分は本当に幸福だと思った。 口に出しては言わなかったが、心の中でわたしはI氏に深く感謝した。 山上の景観には人間の世界を越えた認識があるし、単なる自然をも超越した思想があるように、わたしは感じている。 幼い日に、「そこには無限とか永遠といった言葉が見える」と書いた日誌の表現は言葉足らずなものだが、その実感はいまだ死なずわたしの心の中に生きている。 だれだって、自分の視野をこえることなどできはしない。あとは信じることができるかできないかだけだ。しかし山上の景観には、世界という全体でありひとつであるものの存在を信じさせる力があった。 「辻まことの世界」みすず書房、1977 辻まこと(1913-1975)1975、私の生まれた年。
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by sato_ignis
| 2019-05-01 17:21
| 読書
一. 北の都に秋たけて 吾等二十の夢數ふ
男女の棲む國に 二八に歸るすべもなし 二. そのすべなきを謎ならで 盃捨てて歎かんや 醉へる心に吾れ若し 吾永久に緑なる 三. そのすべなきを謎ならで 盃投げて呪はんや 歌ふ心の吾れ若し 吾永久に緑なる 四. 髮は緑の青年が 友情の園に耕ひし いや生き繁る友垣や 三年の春とめぐる哉 五. 堅琴とりて自治の歌 聲高らかに奏づれば 三つの城邊の山彦の 今を限りによびかへす 六. 自由の爲に死するてふ 主義を愛して死するてふ 男の兒の意氣地今も尚 石に碎きて碎き得じ 七. 藻の花ひらくうつし世に 潮の流れ渦をまく 名もなき道を行く勿れ 吾等が行手星光る 八. 氷塊の如吾胸に 抱く心の解け出でて 語り明かさん今宵かな 星影冴ゆる記念祭
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by sato_ignis
| 2018-09-15 03:01
| 音楽
燃料片道 テンツルシャン 涙で積んで
行くは琉球 死出の旅 エーエ 死出のたび 地上離れりや テンツルシャン この世の別れ 想ひだします 母の顏 エーエ 母の顏 雨よ降れ降れ テンツルシャン せめても雨よ 整備する身の この辛さ エーエ この辛さ https://ignis.exblog.jp/429230/
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by sato_ignis
| 2018-09-12 02:59
| 講義
にくいあん畜生はおしやれな女子、 おしやれ浮氣で薄情もの、 よ。 どんな男にも好かれて好いて、 飽いて別れれやしらぬ顏。 飽いて別れれあ別りよとまゝよ、 外に女子が無いぢやなし、よ。 何をくよくよ、明日の日もござる。 男後生樂、またできる。 男後生樂、踊らぬ奴は、 やもめ男か、いくぢなし、よ。 何をくよくよ、踊さへをどれや、 すぐに女子も、來てたかる。 女子なら身も世もいらぬ、 どうせ名もなし、錢もなし、よ。 まゝよ自棄くそ、梵天國ときめて、 今日も酒、酒、明日も酒。 酒だ、酒、酒、まだ夜は明けぬ、 明けりや工場の笛が鳴る、よ。 まゝよ自棄くそ一寸先や闇よ、 今宵極樂、明日地獄。 「生ける屍」1917 #
by sato_ignis
| 2018-09-05 03:18
| 音楽
高い日本米はおいらにや食へぬ おいらそんなもの食はずとも、よ どんなへんなもの食はされたとても 生きてゐられりやそれでよい 米はあがろとさがろとままよ 外に南京米がないぢやなし、よ 何をくよくよ鳩豆もござる 腹はいたんでも辛抱する 米が高ひとて泣くよな奴は 日本男子の面よごし、よ 何をくよくよ水のんでさへも 少しやどうかかうか生きられる 食へるものでさへありや文句はいはぬ どうせ好いたもの食へやせず、よ 美味ひ不味ひは申さぬと決めて 今日も豆の粕明日も粕 粕や粕粕おいら米は食へぬ 食へりやこの世が嘘ぢやもの、よ 何はともあれおめでたい御代ぢや 生きてゐられりや有難い
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by sato_ignis
| 2018-09-05 03:07
| 音楽
The first great lesson a young man should learn is―that he knows nothing. The earlier and the more thoroughly this lesson is learnt the better. A home-bred youth, growing up in the light of parental admiration, with everything to foster his vanity and self-esteem, is surprised to find, and often unwilling to acknowledge, the superiority of other people. But he is compelled to learn his own insignificance; his airs are ridiculed, his blunders exposed, his wishes disregarded, and he is made to cut a very sorry figure, until his self-conceit is abased, and he feels that he knows nothing. When a young man has thoroughly comprehended the fact that he knows nothing, and that intrinsically he is but of little value, the next lesson is that the world cares nothing about him. He is the subject of no man's overwhelming admiration; neither petted by the one sex nor envied by the other, he has to take care of himself. He will not be noticed till he becomes noticeable; he will not become noticeable until he does something to prove that he is of some use to society. No recommendations or introductions will give him this, or ought to give him this; he must do something to be recognized as somebody. There is plenty of room for men in the world, but there is no room for idlers. Society is not very particular what a man does, so long as he does something useful to prove himself to he a man; but it will not take the matter on trust. There is no surer sign of on unmanly and cowardly spirit than a vague desire for help―a wish to depend, to lean on somebody, and enjoy the fruits of other people's industry. There are multitudes of young men who indulge in dreams of help from some quarter, coming in at a convenient moment, to enable them to secure the success in life which they covet. The vision haunts them of some benevolent old gentlemen, with a pocket full of money, a box full of script, a trunk full of mortgages, and a mind remarkably appreciative of merit and genius, who will, perhaps, give or lend them from one thousand to ten thousand pounds, with which they may commence business, and go on swimmingly. Perhaps he will take a different turn and send them to college, from which they will emerge into ecclesiastical popularity, and rise up to a fat bishopric or deanery, at least. One of the most painful sights in the world is that of a young man with a strong constitution and a presentable figure, standing with his hands in his pockets longing for help. There are positions in which the most independent spirit may gracefully and gratefully, accept assistance; may, in fact, as a choice of evils, desire it; but for man who is able to help himself, to seek help from others, is positive proof that he has been unfortunately trained, and that an indolent bias exists in his character. Lot us not be misunderstood; we would not inculcate the pride of personal independence, which in its sensitiveness repels the good offices of friends―what we condemn in a young man, is the habit of dependence which makes him anxious to accept as a favor those things which he might readily acquire by his own industrial exertions. A man who willingly receives assistance, especially if he has applied for it, invariably sells himself to his benefactor, unless his patron happens to be a man of sense, who is giving absolutely necessary assistance to one whom he knows to be both sensitive and honorable. When a young man has ascertained the fact that he knows nothing, and that the world cares nothing about him; that his success in life must depend on his own exertions; and that he must look to himself, and not to others, for assistance, he is in a fair position for beginning life. The next lesson is that of patience. A man must learn to wait as well as to work; and to be content with those menus of advancement in life which he may use with integrity and honor. Patience is one of the most difficult lessons to learn. It is natural for the mind to look for immediate results. Let this, then, be understood at starting : that the patient conquest of difficulties which rise in regular and legitimate channels of business and enterprise is not only essential in securing the success which a young man seeks in life, but essential also to that preparation of the mind requisite for the enjoyment of success, and for retaining them when gained. It is the general rule, in all the world, and in all time, that unearned success is a curse. It is the rule also that the process of earning success shall be the preparation for its conservation and enjoyment. So, day by day, and week by week; so, month after month, and year after year, WORK ON; and in that process gain strength and symmetry, nerve and knowledge, that when success, bravely and patiently acquired, shall be yours, it shall find you prepared to receive and to keep it. The development of all your mental and moral qualities in the brave battle of life will amply reward you for the struggle. It will help on make a MAN of you : and give you not only self respect but the respect of your fellows and the public. Cambridge Chronicle, Volume XIV, Number 33, 13 August 1859
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by sato_ignis
| 2018-09-05 02:52
| 講義
About to leave Geneva, I cannot repress my deep emotion; I can hardly find words to express my thoughts. I left Tokyo with the determination to take any amount of pains to explain Japan's case and enable the people of Europe to understand our difficulties and our position. I was determined to prevent a clash between the League and Japan, to make it possible for Japan to stay in the League and to continue her cooperation in the interest of world peace. When I arrived in Geneva I dared permit myself to entertain some hope. Three months afterwards, I am leaving Geneva with that hope shattered, with mixed feelings of sadness and resignation. I am sad not for Japan, but for the League for taking such precipitate action. Time will show that it hurts the League more than Japan. I am sad most for China, for such action by the League not only will not solve anything but will add another element of confusion in the conditions of China, already bad enough as they are. It will only lay one more obstacle in the way of Japan's arduous fight against chaos. The only good I can think, can come out of all this, will be incidentally to help further to unite the Japanese people, making them better realise the magnitude and the difficulties of Japan's task, and increase their determination to risk all to achieve their end - that is to recover and maintain peace and order throughout the region of Eastern Asia. If the League's action were only to produce that effect, Japan may even find cause, after all, to thank the League. In any case let us hope this action of the League will not widen the gap that separates East from West; however, none but God knows what the future holds in store for us all. I hardly need to say there is no place in my soul for resentment or misgiving. I am sad it is true, but not disappointed; I am still hoping that some day Japan will be understood. I am leaving Geneva with the prayer, that the Members of the League may be enabled to see the light, and with ardent wishes for the success of the League. One consolation I have was the abstention of the Siamese Representative from voting yesterday. He represents the only Asiatic nation, besides Japan and Monchoukuo, which has a real national integrity and responsibility, with the will and ability to govern. On leaving Geneva, I wish again heartily to thank the Members of the League for the labour so ungrudgingly given for the past seventeen months, in their earnest attempt to find a solution for the most complicated problem that the League has faced in the thirteen years of its existence. I wish also to express my thanks for the many courtesies, shown me and the Japanese Delegation, by the city of Geneva and the Genevese. GIVEN OUT BY YOSUKE MATSUOKA ON THE EVE OF HIS DEPARTURE FROM GENEVA February 25, 1933 #
by sato_ignis
| 2018-09-05 02:47
| 講義
私たちは、第二次世界大戦から二十年たった今、直接被害のないベトナムの戦いを見て、私たちが失ったもの、その悲しみを、新しく考えることが、必要だと思います。 これは、私が経験したことです。 第二次世界大戦が終り、多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務についていた、ある暑い日の出来事でした。 私達は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた。 留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった。 そこへ、ずんぐり肥った、立派な服装をした紳士が隣の友人のところへ来た。 隣は、ニューギニヤ派遣の係りであった。 その人は、 「ニューギヤに行った、私の息子は?」と、名前を言って、たずねた。 友人は、帳簿をめくって、 「貴方の息子さんは、ニューギニヤのホーランジヤで戦死されておられます。」 と答えた。 その人は、その瞬間、眼をカッと開き口をピクッとふるわして、黙って立っていたが、くるっと向きをかえて帰って行かれた。 人が死んだということは、いくら経験しても、又くりかえしても、慣れるということはない。 いうこともまた、そばで聞くことも自分自身の内部に恐怖が走るものである。 それは意識以外の生理現象が起きる。 友人はいった後、しばらくして、バタンと帳簿を閉じ、頭を抱えた。 私は黙って、便所に立った。 そして階段のところに来た時、さっきの人が、階段の曲がり角の広場の隅のくらがりに、白いパナマの帽子を顔に当てて壁板に持たれるように、たっていた。 瞬間、私は気分が悪いのかと思い、声をかけようとして、足を一段階段に下した時、その人の肩は、ブル、ブル、ふるえ、足もとに、したたり落ちた水滴のたまりがあるのに気づいた。 その水滴は、パナマ帽からあふれ、したたり落ちていた。 肩のふるえは、声をあげたいのを必死にこらえているものであった。 どれだけたったかわからないが、私はそっと、自分の部屋に引返した。 次の日、久し振りにほとんど留守家族が来ないので、やれやれとしているときふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、私の顔をマヂ、マヂと見つめていた。 私が姿勢を正して、なにかを問いかけようとすると、 「あたち、小学校二年生なの。おとうちゃんは、フイリッピンに行ったの。おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。 それで、それで、わたしに、この手紙をもって、おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの。」 顔中に汗をしたたらせて、一いきにこれだけいうと、大きく肩で息をした。 私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、復員局からの通知書があった。 住所は、東京都の中野であった。 私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。 「あなたのお父さんは――」 といいかけて、私は少女の顔を見た。 やせた、真黒な顔、伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。 私は少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。 「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」 といって、声がつづかなくなった。 瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。 涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。 それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。 私の方が声をあげて泣きたくなった。しかし、少女は、 「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」 私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。 少女は、不思議そうに、私の顔を見つめていたのに困った。 やっと、書き終って、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。 涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。 肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。 私は、声を呑んで、しばらくして、 「おひとりで、帰れるの。」 と聞いた。 少女は、私の顔をみつめて、 「あたし、おじいちゃまにいわれたの、泣いては、いけないって。 おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの。」 と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。 私は、体中が熱くなってしまった。 帰る途中で、私に話した。 「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって。」 と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。 どうなるのであろうか、私は一体なんなのか、なにが出来るのか? 戦争は、大きな、大きな、なにかを奪った。 悲しみ以上のなにか、かけがえのないものを奪った。 私たちは、この二つのことから、この悲しみから、なにを考えるべきであろうか。 私たちはなにをすべきであろうか。 声なき声は、そこにあると思う。 (『声なき声のたより』一九六七年一一月) #
by sato_ignis
| 2018-08-15 13:45
| 講義
THE year's at the spring,
And day's at the morn; Morning's at seven; The hill‐side's dew‐pearl'd; The lark's on the wing; The snail's on the thorn; God's in His heaven ── All's right with the world! cf. 春の朝 2018-04-11 https://ignis.exblog.jp/28243311/
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by sato_ignis
| 2018-04-17 02:34
いつまでも絶えることなく 友だちでいよう 明日の日を夢見て 希望の道を 空を飛ぶ鳥のように 自由に生きる 今日の日はさようなら またあう日まで 信じあうよろこびを 大切にしよう 今日の日はさようなら またあう日まで またあう日まで ・・・・・・ 合掌。ひとあしさきに逝った彼らに。彼らと。
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by sato_ignis
| 2018-04-17 02:13
| 音楽
命はひとつ 人生は一回
だから 命をすてないようにネ あわてると つい フラフラと 御国のためなのと 言われるとネ 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい 御国は俺たち 死んだとて ずっと後まで 残りますヨネ 失礼しましたで 終るだけ 命の スペアは ありませんヨ 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい 命をすてて 男になれと 言われた時には ふるえましょうヨネ そうよ あたしゃ 女でけっこう 女のくさったので かまいませんよ 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい 死んで神様と 言われるよりも 生きてバカだと いわれましょうヨネ きれいごと ならべられた時も この命を すてないようにネ 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい ・・・・・・ 合掌。今日の日の、懸命。
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by sato_ignis
| 2018-04-17 02:08
| 音楽
誕生日。「今年は、厄が明けスッキリ軽やかな良い年ですね! 昔覚えたこんな詩を思い出しました。」と母上からのたより。 時は春、 日は朝、 朝は七時、 片岡に露みちて、 揚雲雀なのりいで、 蝸牛枝に這ひ、 神、そらに知ろしめす。 すべて世は事も無し。 今日も朝から、来春にサクサクラ、新しい子たちと楽しく過ごす。 ビールをかたむけながら、本日いただいたさまざまなことほぎを うれしくこころに抱く。本日の春風春光、駘蕩たる我でありたい。 #
by sato_ignis
| 2018-04-11 23:05
| 雑記
毎年この時期をむかえると,時機であろうか,就職や進学をひかえた教え子たちから,報告やら相談やらがどっとやってくる。ひとつひとつが,これまでとこれからのおのれを見すえた,凛凛たることばである。迂直に関わらず内省のわだち深く,子莫の如き中を執るものはひとりもない。万難を排して初志を貫徹せんとする猛者もいれば,学部や院で得たであろう初々しく爽やかな自覚もある。どちらにせよ,それは生きてゆく意志になる。一年で結果を出すシゴトをしているけれど,合否からしばし先の,おのれから脱げ出だし,おのれを解き放つこの刹那にふれるおどろきこそが,センセイとしての醍醐味である。 恩師,近辻先生は,私が卒園したずっと後,素読や習字,九九などのカリキュラムがうちの子には難しすぎますとこぼすご父兄に対して,「目の前の幼児に,その時にワカルコトを教えて何になりますお母さん」とこたえたそうだ。自らを省みても,先生のお教えとお諭しは,今日もあたたかく私を支えている。而立,不惑と歳を重ねるたび,そしてここにある私を見つめなおすたび,戒めとも励ましともつかぬが,先生のお声やお顔は,確かな息吹や鼓動となって,今ここにいる私のうちに,渾然とたちあがってくる。 目の前の生徒に,その時にワカルコトを教えるシゴトをしていても,解説であれ余談であれ,講義は,それを耳にする彼らにとって,啐までのやしないに,また啄のひとつにもなりえよう。教壇から伝えることばは,彼らの種でも根葉でも,いわんや実でもない。かつ彼らが私のことばを取るも捨てるも,活かすも殺すも,その時だけとも限らない。私は,これからのおのれを見すえる彼らに,期待ではなく,希望を持つ。願わくば,時流を追わず,機嫌をはからず,あるいは一を挙げて百を廃さず,ただただ生きてゆく意志をば燃やして,時中を求めてもらいたい。 #
by sato_ignis
| 2017-12-19 00:44
| 雑記
第二次世界大戦が日本の降伏によって終結したのは、一九四五年の夏であった。その前後の日本は世界の嫌われ者であった。信じがたい話かもしれないが、世界中の青年の平和なスポーツの祭典であるオリンピック大会にも、戦後しばらくは日本の参加は認められなかった。そういう国際的評価の厳しさを嘆く前に、そういう酷評を受けなければならなかった、かつての日本の独善的な民族主義や国家主義については謙虚に反省しなければならない。そのような状況であったから、世界の経済機構への仲間入りも許されず、日本も日本人もみじめな時代があった。そのころの体験であるが、国際性とは何かを考えさせる話があるので書き記しておきたい。
一九五七年、私はパリで大学の講師を勤めていた。しばらくはホテルにいたが、主任教授の紹介状で下宿が見つかり、訪ねあてたところ、そこの主婦は、私が日本人だと知るや、「夫の弟がベトナムで日本兵に虐殺されているので、あなた個人になんの恨みもないけれど、日本人だけはこの家に入れたくないのです。その気持ちを理解してください。」と言い、私が下宿するのを断った。しかたなく、大学が見つけてくれた貧相な部屋のホテル住まいをすることになった。 そのころの話である。私は平生は大学内の食堂でセルフサービスの定食を食べていたが、大学と方向の違う国立図書館に調べに行くと決めていた土曜は、毎晩、宿の近くの小さなレストランで夕食をとるほかなかった。その店はぜいたくではないがパリらしい雰囲気があり、席も十人そこそこしかない小さな手作りの料理の店であった。白髪の母親が台所で料理を作り、生っ粋のパリ美人という感じの娘がウェイトレスと会計を受け持ち、二人だけで切り盛りしていた。毎土曜の夕食をそこでとっていたから、二か月もすれば顔なじみになった。 若い非常勤講師の月給は安いから、月末になると外国人の私は金詰りの状態になる。そこで月末の土曜の夜は、スープもサラダも肉類もとらず、「今日は食欲がない。」などと余計なことを言ったうえで、いちばん値の張らないオムレツだけを注文して済ませた。それにはパンが一人分ついてくるのが習慣である。そういう注文が何回かあって気づいたのであろう、この若い外国生まれの学者は月末になると苦労しているのではあるまいか、と。 ある晩、また「オムレツだけ。」と言ったとき、娘さんのほうが黙ってパンを二人分添えてくれた。パンは安いから二人分食べ、勘定のときパンも一人分しか要求されないので、「パンは二人分です。」と申し出たら、人差し指をそっと唇に当て、目で笑いながら首を振り、他の客にわからないようにして一人分しか受け取らなかった。私は何か心の温まる思いで、「ありがとう。」と、かすれた声で言ってその店を出た。月末のオムレツの夜は、それ以後、いつも半額の二人前のパンがあった。 その後、何ヶ月かたった二月の寒い季節、また貧しい夜がやって来た。花のパリというけれど、北緯五十度に位置するから、わりに寒い都で、九月半ばから暖房の入るところである。冬は底冷えがする。その夜は雹が降った。私は例によって無理に明るい顔をしてオムレツだけを注文して、待つ間、本を読み始めた。店には二組の客があったが、それぞれ大きな温かそうな肉料理を食べていた。そのときである。背のやや曲がったお母さんのほうが、湯気の立つスープを持って私のテーブルに近寄り、震える手でそれを差し出しながら、小声で、「お客様の注文を取り違えて、余ってしまいました。よろしかったら召し上がってくださいませんか。」と言い、やさしい瞳でこちらを見ている。小さな店だから、今、お客の注文を取り違えたのではないことぐらい、私にはよく分かる。 こうして、目の前に、どっしりしたオニオングラタンのスープが置かれた。寒くてひもじかった私に、それはどんなにありがたかったことか。涙がスープの中に落ちるのを気取られぬよう、一さじ一さじかむようにして味わった。フランスでもつらい目に遭ったことはあるが、この人たちのさりげない親切ゆえに、私がフランスを嫌いになることはないだろう。いや、そればかりではない、人類に絶望することはないと思う。 国際性、国際性とやかましく言われているが、その基本は、流れるような外国語の能力やきらびやかな学芸の才気や事業のスケールの大きさなのではない。それは、相手の立場を思いやる優しさ、お互いが人類の仲間であるという自覚なのである。その典型になるのが、名もない行きずりの外国人の私に、口ごもり恥じらいながら示してくれたあの人たちの無償の愛である。求めるところのない隣人愛としての人類愛、これこそが国際性の基調である。そうであるとすれば、一人一人の平凡な日常の中で、それは試されているのだ。 #
by sato_ignis
| 2017-11-10 19:47
| 講義
Na na na na na na na na Na na na na na na na na Talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play
Na na na na na na na na Na na na na na na na na Talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play Oh the games people play now every night and every day now Never meaning what they say, yeah never saying what they mean First you whine away your hours in your concrete towers Soon you'll be covered up with flowers in the back of a black limousine People walking up to you singing glory Hallelujah Then thy try to sock it to you, oh in the name of the Lord Na na na na na na na na Na na na na na na na na Talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play Na na na na na na na na Na na na na na na na na Talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play Oh the games people play now every night and every day now Never meaning what they say, yeah never saying what they mean And they teach you how to meditate read up your horoscope And change your faith and further more to hell with hate Come on and give me some more, and more, and more Na na na na na na na na Na na na na na na na na Talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play Na na na na na na na na Na na na na na na na na Talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play First you're giving up your sanity turn your back on humanity, yeah And you don't give a damn, a damn, a damn Na na na na na na na na Na na na na na na na na Talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play Talkin' 'bout you and me, I'm talkin' 'bout you and me Talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play Talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play Oh, talkin' 'bout you and me, yeah and the games people play #
by sato_ignis
| 2017-10-13 02:36
| 音楽
凡物皆有可觀,苟有可觀,皆有可樂,非必怪奇偉麗者也,餔糟啜醨[漓],皆可以醉,果蔬草木,皆可以飽,推此類也,吾安往而不樂。 夫所爲求褔而辭禍者,以褔可喜而禍可悲也,人之所欲無窮,而物之可以足吾欲者有盡,美惡之辨,戰乎中,而去取之擇交乎前,則可樂者常少,而可悲者常多,是謂求禍而辭福。 夫求禍而辭福,豈人之(情)也哉,物有以蓋之矣,彼游於物之內,而不游於物之外,物非有大小也,自其內而觀之,未有不高且大者也,彼挾其高大以臨我,則我常眩亂反覆,如隙中之觀(鬥),又烏知(勝)負之所在,是以美惡橫生而憂樂出焉,可不大哀乎。 予自錢塘移守膠西,釋舟楫之安,而服車馬之勞,去雕牆之美,而蔽採[庇(采)]椽之居,背湖山之觀,而行桑(麻)之野,始至之日,歲比不登,盜賊滿野,獄訟充斥,而齋廚索然,日食(杞)菊,人固疑餘之不樂也。 處之期年,而貌加豐,髪之白者,日以反黑,予旣樂其風俗之淳,而其吏民亦安予之拙也。 於是治其園囿,潔其庭宇,伐安邱高密之木,以脩補破敗,爲苟全之計,而園之北,因城以爲臺者舊矣,稍葺而新之。 時相與登覽,放意肆志焉,南(望)馬耳常山,出沒隱見,若近若遠,庶幾有隱君子乎,而其東則廬山,秦人盧敖之所從遁也,西(望)穆陵,隱然如城郭,師尙父、齊桓公之遺烈猶有存者,北俯濰水,慨然太息思淮陰之功,而弔其不終。 臺高而安,深而明,夏凉而冬溫,雨雪之朝,風月之夕,予未嘗不在,客未嘗不從,擷園蔬,取池魚,釀秫酒,瀹脫粟而食之,樂哉游乎。 方是時,予弟子由(適)在濟南,聞而賦之,且名其臺,曰超然,以見餘之無所往而不樂者,蓋游於物之外也。
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by sato_ignis
| 2017-10-13 02:16
| 雑記
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