人が死ぬのを何度も見てそれは時にぼくを悲しませたけれど
悲しみは不快ではなくむしろどこかでぼくを満足させた
自分が死ぬ時も愉快ではないかもしれないが
多分いやな感じはしないのではないかと思っている
自分がへの字に口をむすんでいるのに気づくことがある
死んでなくてまだ生きているからだ
生きているのは死ぬのより多分はるかに不愉快なんだ
言葉が出て来さえすればまだ救われる
ムウとかフンとかしか言えないから口はへの字に曲がる
年とるごとにぼくらは解き得ぬ矛盾を抱えこむ
そうして一歩一歩現実へと近づく・・・・・・
というのもひとつの架空の物語かもしれない
ぼくらは人生をお話にまとめずにはいられない
(日常のフリルに飾られた哲学の意匠をまとって)
だが詩は死と同じように突然それを中断する
死顔の和やかさで
物語を聞き終えた子どもの晴れやかさで