山田浅右衛門貞武/吉時/吉継/吉寛/吉睦/吉兼/吉利/吉亮。
徳川家の頃、罪人の首斬で名高い浅右衛門が或時賊を処置場へ引出だせしに其賊は浅右衛門に向ひ、汝は己等の仲間の為めには仇なれば此儘死すとも怨恨は汝に祟って報ひをなさんと恨めしげに述べたるゆゑ、浅右衛門は打笑ひて其方が如き鼠賊が怨を報ふなどとは小癪なり、美事祟りをなさんと思ふほどの精神ならば今拙者が首を斬たる後笑って見せよと嘲笑せしに、かの罪人は益々憤りオゝ斬れたる後笑って見せんとゆふうち閃く電光忽ち首は落ちたるが、其首両眼を開き浅右衛門を見て笑ひし故傍に在りし者は大に驚き彼奴中々執念深さ者なれば注意すべしと告げたるに、浅右衛門は冷笑してこいつ吾を怨む事甚だしけれど斬られし後笑ふべしと云ひし一心にて最早吾を怨むの念は消滅したり、人間最後の一念により生を引くといへば吾等の如き職業は平生に心得あるべき事なり、と語りし由云々 明治十六年十二月二十一日『開化新聞』